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学問のすすめ 八編

  我心をもって他人の身を制すべからず

 アメリカのウェイランドなる人の著したる「モラルサイヤンス」という書に、人の身心の自由を論じたることあり。その論の大意に云く、人の一身は、他人と相離れて一人前の全体を成し、自らその身を取扱い、自らその心を用い、自ら一人を支配して、務むべき仕事を務むる筈のものなり。故に、第一、人にはおのおの身体あり。身体はもって外物に接し、その物を取りて我求むるところを達すべし。譬えば、種を蒔きて米を作り、綿を取りて衣服を製するが如し。第二、人にはおのおの智恵あり。智恵はもって物の道理を発明し、事を成すの目途を誤ることなし。譬えば、米を作るに肥しの法を考え、木綿を織るに機の工夫をするが如し。皆智恵分別の働きなり。

 第三、人にはおのおの情欲あり。情欲はもって心身の働きを起こし、この情欲を満足して一身の幸福を成すべし。譬えば人として美服美食を好まざる者なし。されどもこの美服美食は自ずから天地の間に生ずるものに非ず。これを得んとするには人の働きなかるべからず。故に人の働きは大抵皆情欲の催促を受けて起るものなり。この情欲あらざれば働きあるべからず、この働きあらざれば安楽の幸福あるべからず。禅坊主などは働きもなく幸福もなきものと言うべし。

 第四、ひとにはおのおの至誠の本心あり。誠の心はもって情欲を制し、その方向を正しくして止まる所を定むべし。譬えば情欲には限りなきものにて、美服美食も何れにて十分と界を定め難し。今も働くべき仕事を捨て置き、只管我欲するもののみを得んとせば、他人を害して我身を利するより外に道なし。これを人間の所業と言うべからず。この時に当って欲と道理とを分別し、欲を離れて道理の内に入らしむるものは誠の本心なり。第五、人にはおのおの意思あり。意思はもって事をなすの志を立つべし。譬えば世の事は怪我の機にて出来るものなし。善き事も悪き事も、皆、人のこれをなさんとする意ありてこそ出来るものなり。

 以上五つの者は人に欠くべからざる性質にして、この性質の力を自由自在に取扱い、もって一身の独立をなすものなり。さて独立と言えば、独り世の中の偏人奇物にて世間の附合もなき者のように聞ゆれども、決して然らず。人として世に居れば固より朋友なかるべからずと雖ども、その朋友もまた吾に交わりを求むること、なお我朋友を慕うが如くなれば、世の交わりは相互いのことなり。ただこの五つの力を用いるに当り、天より定めたる法に従って、分限を越えざること緊要なるのみ。即ちその分限とは、我もこの力を用い他人もこの力を用いて相互にその働きを妨げざるを言うなり。かくの如く人たる者の分限を誤らずして世を渡るときは、人に咎めらるることもなく、天に罪せらるることもなかるべし。これを人間の権義と言うなり。

 右の次第に由り、人たる者は他人の権義を妨げざれば自由自在に己が身体を用いるの理あり。その好む処に行き、その欲する処に止り、或いは働き、或いは遊び、或いはこの事を行い、或いはかの業をなし、或いは昼夜勉強するも、或いは意に叶わざれば無為にして終日寝るも、他人に関係なきことなれば、傍より彼是とこれを議論するの理なし。

 今もし前の説に反し、人たる者は理非に拘らず他人の心に従って事をなすものなり、我了簡を出すは宜しからずという議論を立つる者あらん。この議論果して理の当然なるか。理の当然ならば凡そ人と名の付きたる者の住居なる世界には通用すべき筈なり。仮にその一例を挙げて言わん。禁裏様は公方様よりも貴きものなるゆえ、禁裏様の心をもって公方様の身を勝手次第に動かし、行かんとすれば止れと言い、止まらんとすれば行けと言い、寝るも起きるも飲むも喰うも我思いのままに行わるることなからん。公方様はまた手下の大名を制し、自分の心をもって大名の身を自由自在に取扱わん。大名はまた自分の心をもって家老の身を制し、家老は自分の心をもって用心の身を制し、用心は徒士を制し、徒士は足軽を制し、足軽は百姓を制するならん。

 さて百姓に至っては最早目下の者もあらざれば少し当惑の次第なれども、元来この議論は人間世界に通用すべき当然の理に基づきたるものなれば、百万遍の道理にて、廻われば本に返らざるを得ず。百姓も人なり、禁裏様も人なり、遠慮はなしと御免を蒙り、百姓の心をもって禁裏様の身を勝手次第に取扱い、行幸あらんとすれば止れと言い、行在に止まらんとすれば還御と言い、起居眠食みな百姓の思いのままにて、金衣玉食を廃して麦飯を進むるなどのことに至らば如何ん。かくの如きは即ち日本国中の人民、身躬からその身を制するの権義なくして却って他人を制するの権あり。

 人の身と心とは全くその居処を別にして、その身はあたかも他人の魂を止むる旅宿の如し。下戸の身に上戸の魂を入れ、子供の身に老人の魂を止め、盗賊の魂は孔夫子の身を借用し、猟師の魂は釈迦の身に旅宿し、下戸が酒を酌んで愉快を尽せば、上戸は砂糖湯を飲んで満足を唱え、老人が樹に攀て戯るれば、子供は杖をついて人の世話をやき、孔夫子が門人を率いて賊をなせば、釈迦如来は鉄砲を携えて殺生に行くならん。奇なり、妙なり、また不思議なり。

 これを天理人情と言わんか、これを文明開化と言わんか。三歳の童子にてもその返答は容易なるべし。数千百年の古より和漢の学者先生が、上下貴賎の名分とて喧しく言いしも、詰るところは他人の魂を我身に入れんとするの趣向ならん。これを教えこれを説き、涙を流してこれを諭し、末世の今日に至ってはその功徳も漸く顕れ、大は小を制し強は弱を圧するの風俗となりたれば、学者先生も得意の色をなし、神代の諸尊、周の世の聖賢も、草葉の蔭にて満足なるべし。いまその功徳の一、二を挙げて示すこと左の如し。

 政府の強大にして小民を制圧するの議論は、前編にも記したるゆえ爰にはこれを略し、先ず人間男女の間をもってこれを言わん。そもそも世に生れたる者は、男も人なり女も人なり。この世に欠くべからざる用をなすところをもって言えば、天下一日も男なかるべからずまた女なかるべからず。その功能如何にも同様なれども、ただその異なるところは、男は強く女は弱し。大の男の力にて女と闘わば必ずこれに勝つべし。即ちこれ男女の同じからざるところなり。今世間を見るに、力ずくにて人の物を奪うか、または人を恥かしむる者あれば、これを罪人と名づけて刑にも行わるる事あり。然るに家の内にては公然と人を恥かしめ、嘗てこれを咎むる者なきは何ぞや。「女大学」という書に、婦人に三従の道あり、稚き時は父母に従い、嫁いる時は夫に従い、老いては子に従うべしと言えり。稚き時に父母に従うは尤なれども、嫁して後に夫に従うとは如何にしてこれに従うことなるや、その従う様を問わざるべからず。「女大学」の文に拠れば、亭主は酒を飲み女郎に耽り妻を詈り子を叱りて放蕩淫乱を尽すも、婦人はこれに従い、この淫夫を天の如く敬い尊み顔色を和らげ、悦ばしき言葉にてこれを異見すべしとのみありて、そのさきの始末をば記さず。さればこの教えの趣意は、淫夫にても姦夫にても既に己が夫と約束したる上は、女何なる恥辱を蒙るもこれに従わざるを得ず、ただ心にも思わぬ顔色を作りて諌むるの権義あるのみ。その諌めに従うと従らざるとは淫夫の心次第にて、即ち淫夫の心はこれを天命と思うより外に手段あることなし。

 仏書に罪業深き女人ということあり。実にこの有様を見れば、女は生れながら大罪を犯したる科人に異ならず。また一方より婦人を責むること甚だしく、女大学に婦人の七去とて、淫乱なれば去ると明らかにその裁判を記せり。男子のためには大いに便利なり。あまり片落なる教えならずや。畢竟男子は強く婦人は弱しというところより、腕の力を本にして男女上下の名分を立てたる教えなるべし。

 右は姦夫淫婦の話なれども、またここに妾の議論あり。世に生るる男女の数は同様なる理なり。西洋人の実験に拠れば、男子の生るることは女子よりも多く、男子二十二人に女子二十人の割合なりと。されば一夫にて二、三の婦人を娶るは固より天理に背くこと明白なり。これを禽獣と言うも妨げなし。父を共にし母を共にする者を兄弟と名づけ、父母兄弟共に住居する処を家と名づく。然るに今、兄弟、父を、共にして母を異にし、一父独立して衆母は群を成せり。これを人類の家と言うべきか。家の字の義を成さず。仮令いその楼閣は嶷々たるも、その宮室は美麗なるも、余が眼をもってこれを見れば人の家に非ず、畜類の小屋と言わざるを得ず。妻妾家に群居して家内よく熟和するものは古今未だその例を聞かず。妾と雖ども人類の子なり。一時の欲のために人の子を禽獣の如くに使役し、一家の風俗を乱りて子孫の教育を害し、禍を天下に流して毒を後世に遺すもの、豈これを罪人と言わざるべけんや。

 人或いは云く、「衆妾を養うもその処置宜きを得れば人情を害することなし」と。こは夫子自ら言うの言葉なり。もしそれ果して然らば、一婦をして衆夫を養わしめ、これを男妾と名づけて家族第二等親の位に在らしめなば如何ん。この如くしてよくその家を治め人間交際の大義に毫も害することなくば、余が喋々の議論をも止め口を閉じてまた言わざるべし。天下の男子宜しく自ら顧みるべし。或人また云く、妾を養うは後あらしめんがためなり、孟子の教えに不孝に三あり、後なきを大なりとすと。余答えて云く、天理戻ることを唱うる者は孟子にても孔子にても遠慮に及ばず、これを罪人と言って可なり。妻を娶り子を生まざればとてこれを大不孝とは何事ぞ。遁辞というも余り甚だしからずや。

 苟(いやしく)も人心を具えたる者なれば、誰か孟子の妄言を信ぜん。元来不孝とは子たる者にて理に背きたる事をなし親の身心わして快からしめざることを言うなり。勿論老人の心にて孫の生るるは悦ぶことなれども、孫の誕生が晩しとてこれをその子の不孝と言うべからず。試みに天下の父母たる者に問わん。子に良縁ありてよき嫁を娶り、孫を生まずとてこれを怒り、その嫁を叱りその子を笞(むち)うち、或いはこれを勘当せんと欲するか。世界広しと雖ども未だかかる奇人あるを聞かず、これらは固より空論にて弁解を費やすにも及ばず。人々自らその心に問いて自らこれに答うべきのみ。

 親に孝行するは固より人たる者の当然、老人とあれば他人にてもこれを丁寧にする筈なり。まして自分の父母に対し情を尽さざるべけんや。利のために非ず、名のために非ず、ただ己が親と思い、天然の誠をもってこれに孝行すべきなり。古来和漢にて孝行を勧めたる話は甚だ多く、二十四孝を始めとしてその外の著述書も計うるに遑あらず。然るにこの書を見れば、十に八、九は人間に出来難き事を勧むるか、または愚にして笑うべき事を説くか、甚だしきは理に背きたる事を誉めて孝行とするものあり。

 寒中に裸体にて氷の上に臥しその解くるを待たんとするも人間に出来ざることなり。夏の夜に自分の身に酒を潅ぎて蚊に喰われ親に近づく蚊を防ぐより、その酒の代をもって紙帳を買うこそ智者ならずや。父母を養うべき働きもなく途方に暮れて罪もなき子を生きながら穴に埋めんとするその心は、鬼とも言うべし蛇とも言うべし、天理人情を害するの極度と言うべし。最前は不孝に三ありとて、子を生まざるをさえ大不孝と言いながら、今ここには既に生れたる子を穴に埋めて後を絶たんとせり。何れをもって孝行とするか、前後不都合なる妄説ならずや。畢竟この孝行の説も、親子の名を糺し上下の分を明らかにせんとして、無理に子を責むるものならん。そのこれを責むる箇条を聞けば、妊娠中に母を苦しめ、生れて後は三年父母の懐を免かれず、その洪恩は如何と言えり。されども子を生みて子を養うは人類のみに非ず、禽獣皆然り。ただ人の父母の禽獣に異なるところは、子に衣食を与うるの外に、これを教育して人間交際の道を知らしむるの一事に在るのみ。

 然るに世間の父母たる者、よく子を生めども子を教うるの道を知らず、身は放蕩無頼を事として子弟に悪例を示し、家を汚し産を破って貧困に陥り、気力漸く衰えて家産既に尽くりに至れば放蕩変じて頑愚となり、乃ちその子に向かって孝行を責むるとは、果して何の心ぞや。何の鉄面皮あればこの破廉恥の甚だしきに至るや。父は子の財を貪らんとし、姑は嫁の心を悩ましめ、父母の心をもって子供夫婦の身を制し、父母の不理屈は尤にして子供の申分は少しも立たず、嫁はあたかも餓鬼の地獄に落ちたるが如く、起居眠食自由なるものなし。一も舅姑の意に戻れば即ちこれを不孝者と称し、世間の人もこれを見て心に無理とは思いながら、己が身に引き受けざることなれば先ず親の不利屈に左袒して理不尽にその子を咎むるか、或いは通用の説に従えば、理非を分たず親を欺けとて偽計を授くる者あり。豈これを人間家内の道と言うべけんや。余嘗て言えることあり。姑の鑑遠からず嫁の時に在りと。姑もし嫁を窘めんと欲せば、己が嘗て嫁たりし時を想うべきなり。

 右は、上下貴賎の名分より生じたる悪弊にて、夫婦親子の二例を示したるなり。世間にこの悪弊の行わるるは甚だ広く、事々物々、人間の交際に浸潤せざるはなし。なおその例は、次編に記すべし。

  (明治七年四月出版)

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