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学問のすすめ 十五編
事物を疑って取捨を断ずる事
信の世界に偽詐多く、疑の世界に真理多し。試みに見よ、世間の愚民、人の言を信じ、人の書を信じ、小説を信じ、風聞を信じ、神仏を信じ、卜筮を信じ、父母の大病に按摩の説を信じて草根木皮を用い、娘の縁談に家相見の指図を信じて良夫を失い、熱病に医師を招かずして念仏を申すは阿弥陀如来を信ずるがためなり。三七日の断食に落命するは不動明王を信ずるが故なり。この人民の仲間に行わるる真理の多寡を問わば、これに答えて多しと言うべからず。真理少なければ偽詐多からざるを得ず。蓋しこの人民は事物を信ずと雖ども、その信は偽を信ずる者なり。故に云く、「信の世界に偽詐多し」と。
文明の進歩は、天地の間にある有形の物にても無形の人事にても、その働きの趣きを詮索して真実を発明するに在り西洋諸国の人民が今日の文明に達したるその源を尋ぬれば、疑の一点より出でざるものなし。ガリレヲが天文の旧説を疑って地動を発明し、ガルハニが蟆(がま)の脚のちん搦(痙攣)するを疑って動物のエレキを発明し、ニウトンが林檎の落つるを見て重力の理に疑いを起し、ワットが鉄瓶の湯気を弄んで蒸気の働きに疑いを生じたるが如く、何れも皆疑いの路に由って真理の奥に達したるものと言うべし。格物窮理の域を去って、顧みて人事進歩の有様を見るもまたかくの如し。売奴法の当否を疑って天下後世に惨毒の源を絶ちたる者は、トーマス・クラレクソンなり。ローマ宗教の妄誕を疑って教法に一面目を改めたる者はマルチン・ルーザなり。フランスの人民は貴族の跋扈に疑いを起して騒乱の端を開き、アメリカの州民は英国の成法に疑いを容れて独立の功を成したり。今日においても、西洋の諸大家が日新の説を唱えて人を文明に導くものを見るに、その目的はただ古人の確定して駁すべからざるの論説を駁し、世上に普通にして疑いを容るべからざるの習慣に疑いを容るるに至るのみ。
今の人事において男子は外を務め婦人は内を治むるとてその関係殆ど天然なるが如くなれども、スチュアルト・ミルは婦人論を著して、万古一定動かすべからざるのこの習慣を破らんことを試みたり。英国の経済家に自由法を悦ぶ者多くして、これを信ずる輩はあたかももって世界普通の定法の如くに認むれども、アメリカの学者は保護法を唱えて自国一種の経済論を主張する者あり。一議随って出れば一説随ってこれを駁し、異説争論その極まる所を知るべからず。これをかのアジヤ諸州の人民が、虚誕妄説を軽信して巫蠱神仏に惑溺し、或いはいわゆる聖賢者の言を聞きて一時にこれに和するのみならず、万世の後に至ってなおその言の範囲を脱すること能わざるものに比すれば、その品行の優劣、心志の勇怯、固より年を同じうして語るべからざるなり。
異説争論の際に事物の真理を求むるは、なお逆風に向かって舟を行るが如し。その舟路を右にしまたこれを左にし、浪に激し風に逆らい、数十百里の海を経過するも、その直達の路を計れば進むこと僅に三、五里に過ぎず。航海にはしばしば順風の便ありと雖ども、人事においては決してこれなし。人事の進歩して真理に達するの路は、ただ異説争論の際にまぎるの一法あるのみ。而してその説論の生ずる源は、疑の一点に在りて存するものなり。疑の世界に真理多しとは、蓋しこれの謂なり。
然りと雖ども、事物の軽々信ずべからざること果して是ならば、またこれを軽々疑うべからず。この信疑の際につき必ず取捨の明なかるべからず。蓋し学問の要は、この明智を明らかにするに在るものならん。我日本においても開国以来頓に人心の趣きを変じ、政府を改革し、貴族を倒し、学校を起し、新聞局を開き、鉄道、電信、兵制、工業等、百般の事物一時に旧套を改めたるは、何れも皆数千百年以来の習慣に疑いを容れ、これを変革せんことを試みて功を奏したるものと言うべし。然りと雖ども、我人民の精神においてこの数千年の習慣に疑いを容れたるその原因を尋ぬれば、初めて国を開きて西洋諸国に交わり、かの文明の有様を見てその美を信じ、これに倣わんとして我旧習に疑いを容れたるものなれば、あたかもこれを自発の疑いと言うべからず。ただ旧を信ずるの信をもって新を信じ、昔日は人心の信、東に在りしもの、今日はその処を移して西に転じたるのみにして、その信疑の取捨如何に至っては果して的当の明あるを保すべからず。余輩未だ浅学寡聞、この取捨の疑問に至り一々当否を論じてその箇条を枚挙する能わざるは固より自ら懺悔するところなれども、世事転遷の大勢を察すれば、天下の人心この勢いに乗ぜられて、信ずるものは信に過ぎ、疑うものは疑に過ぎ、信疑共にその止まる所の適度を失するものあるは明らかに見るべし。左にその次第を述べん。
東西の人民、風俗を別にし情意を殊にし、数千百年の久しき、おのおのその国土に行われたる習慣は、仮令い利害の明らかなるものと雖ども、頓にこれを彼に取りてこれに移すべからず、況やその利害の未だ詳らかならざるものにおいてをや。これを採用せんとするには千思万慮歳月を積み、漸くその性質を明らかにして取捨を判断せざるべからず。然るに近日世上の有様を見るに、苛も中人以上の改革者流、或いは開化先生と称する輩は、口を開けば西洋文明の美を称し、一人これを唱うれば万人これに和し、凡そ智識道徳の教えより治国、経済、衣食住の細事に至るまでも、悉皆西洋の風を慕うてこれに倣わんとせざるものなし。或いは未だ西洋の事情につきその一班をも知らざる者にても、只管旧物を廃棄してただ新をこれ求むるものの如し。何ぞそれ事物を信ずるの軽々にして、またこれを疑うの疎忽なるや。西洋の文明は我国の右に出ること必ず数等ならんと雖ども、決して文明の十全なるものに非ず。その欠典を計うれば枚挙に遑あらず。彼の風俗悉く美にすて信ずべきに非ず、我の習慣悉く醜にして疑うべきに非ず。
譬えば爰に一少年あらん。学者先生に接してこれに心酔し、その風に倣わんとして俄に心事を改め、書籍を買い文房の具を求めて、日夜机に倚りて勉強するは固より咎むべきに非ず。これを美事と言うべし。然りと雖どもこの少年が先生の風を擬するの余りに、先生の夜話に耽って朝寝するの僻をも学び得て、遂に身体の健康を害することあらば、これを智者と言うべきか。蓋しこの少年は先生を見て十全の学者と認め、その行状の得失を察せずして悉皆これに倣わんとし、もってこの不幸に陥りたるものなり。
支那の諺に、「西施の顰に倣う」ということあり。美人の顰はその顰の間に自ずから趣きありしが故にこれに倣いしことなれば未だ深く咎むるに足らずと雖ども、学者の朝寝に何の趣きあるや。朝寝は則ち朝寝にして懶惰(らんだ)不養生の悪事なり。人を慕うの余りにその悪事に倣うとは笑うべきの甚だしきに非ずや。されども今の世間の開化者流にはこの少年の輩甚だ少なからず。
仮に今、東西の風俗習慣を交易して開化先生の評論に附し、その評論の言葉を想像してこれを記さん。西洋人は日に浴湯して日本人の浴湯は一月僅に一、二次ならば、開化先生これを評して言わん、文明開化の人民はよく浴湯して皮膚の蒸発を促しもって衛生の法を守れども、不文の日本人は則ちこの理を知らずと。日本人は寝屋の内に尿瓶を置きてこれに小便を貯え、或いは便所より出でて手を洗うことなく、洋人は夜中と雖ども起きて便所に行き、何ら事故あるも必ず手を洗うの風ならば、論者評して言わん、開化の人は清潔を貴ぶの風あれども不開化の人民は不潔の何物たるを知らず、蓋し小児の智識未だ発生せずして汚潔を弁ずること能わざる者に異ならず、この人民と雖ども次第に進んで文明の域に入らば遂には西洋の美風に倣うことあるべしと。洋人は鼻汁を拭うに毎次紙を用いて直ちにこれを投棄し、日本人は紙に代るに布を用い随って洗濯して随ってまた用いるの風ならば、論者忽ち頓智を運らし細事を推して経済論の大義に附会して言わん、資本に乏しき国土においては人民自ら知らずして節倹の道に従うことあり、日本全国の人民をして鼻紙を用いること西洋人の如くならしめなば、その国財の幾分を浪費すべき筈なるに、よくその不潔を忍んで布を代用するは自ずから資本の乏しきに迫られて節倹に赴くものと言うべしと。日本の婦人その耳に金還を掛け小腹を束縛して衣裳を飾ることあらば、論者人身窮理の端を持出して顰蹙して言わん、甚だしい哉不開化の人民、理を弁じて天然に従うことを知らざるのみならず、故らに肉体を傷つけて耳に荷物を掛け、婦人の体において最も貴要部たる小腹を束ねて蜂の腰の如くならしめ、もって妊娠の機を妨げ分娩の危難を増し、その禍の小なるは一家の不幸を致し、大なるは全国の人口生々の源を害するものなりと。
西洋人は家の内外に錠を用いること少なく、旅中に人足を雇うて荷物を持たしめ、その行李に慥なる錠前なきものと雖ども常に物を盗まるることなく、或いは大工左官等の如き職人に命じて普請を受負わしむるに約条書の密なるものを用いずして、後日に至りその約条につき公事訴訟を起すこと稀なれども、日本人は家内の一室毎に締りを設けて坐右の手箱に至るまでも錠を卸し、普請受負の約条書等には一字一句を争うて紙に記せども、なお且つ物を盗まれ、或いは違約等の事につき裁判所に訴うること多き風ならば、論者また歎息して言わん、難有哉耶蘇の聖教、気の毒なる哉パガン外教の人民、日本の人はあたかも盗賊と雑居するが如し、これをかの西洋諸国自由正直の風俗に比すれば万々同日の論に非ず、実に聖教の行わるる国土こそ道に遺を拾わずと言うべけれと。日本人が煙草を咬み巻煙草を吹かして西洋人が煙管を用いることあらば、日本人は器械の術に乏しくして未だ煙管の発明もあらずと言わん。日本人が靴を用いて西洋人が下駄をはくことあらば、日本人は足の指の用法を知らずと言わん。味噌も舶来品ならば、かくまでに軽蔑を受くることもなからん。豆腐も洋人のテーブルに上らば一層の声価を増さん。鰻の蒲焼、茶碗蒸等に至っては世界第一美味の飛切りとて評判を得ることなるべし。
これらの箇条を枚挙すれば際限あることなし。今少しく高尚に進みて宗旨の事に及ばん。四百年前西洋に親鸞上人を生じ、日本にマルチン・ルーザを生じ、上人は西洋に行わるる仏法を改革して浄土真宗を弘め、ルーザは日本のローマ宗教に敵してプロテスタントの教えを開きたることあらば、論者必ず評して言わん、宗教の大趣意は衆生済度に在りて人を殺すに在らず、苛もこの趣意を誤ればその余は見るに足らざるなり、西洋の親鸞上人はよくこの旨を体し、野に臥し石を枕にし、千辛万苦、生涯の力を尽して遂にその国の宗教を改革し、今日に至っては全国人民の大半を教化したり、その教化の広大なることかくの如しと雖ども、上人の死後、その門徒なる者、宗教の事につき敢えて他宗の人を殺したることなくまた殺されたることもなきは、専ら宗徳をもって人を化したるものと言うべし、顧みて日本の有様を見れば、ルーザ一たび世に出でてローマの旧教に敵対したりと雖ども、ローマの宗徒容易にこれに服するに非ず、旧教は虎の如く新教は狼の如く、虎狼相闘い食肉流血、ルーザの死後、宗教のために日本の人民を殺し日本の国財を費やし、師を起し国を滅したるその禍は、筆もって記すべからず、口もって語るべからず、殺伐なる哉野蛮の日本人は、衆生済度の教えをもって生霊を塗炭に陥れ、敵を愛するの宗旨に由って無辜の同類を屠り、今日に至ってその成跡如何を問えば、ルーザの新教は未だ日本人民の半を化すること能わずと言えり、東西の宗教その趣きを殊にすることかくの如し、余輩ここに疑いを容るること日既に久しと雖ども、未だその原因の確かなるものを得ず、窃に按ずるに日本の耶蘇教も西洋の仏法も、その性質は同一なれども、野蛮の国土に行わるれば自ずから殺伐の気を促し、文明の国に行わるれば自ずから温厚の風を存するに由って然るものか、或いは東方の耶蘇教と西方の仏法とは初よりその元素を殊にするに由って然るものか、或いは改革の始祖たる日本のルーザと西洋の親鸞上人とその徳義に優劣ありて然るものか、漫に浅見をもって臆断すべからず、ただ後世博識家の確説を待つのみと。
然らば則ち今の改革者流が日本の旧習を厭うて西洋の事物を信ずるは、全く軽信軽疑の譏を免るべきものと言うべからず。いわゆる旧を信ずるの信をもって新を信じ、西洋の文明を慕うの余りに兼ねてその顰蹙朝寝の僻をも学ぶものと言うべし。なお甚だしきは未だ新の信ずべきものを探り得ずして早く既に旧物を放却し、一身あたかも空虚なるが如くにして安心立命の地位を失い、これがため遂には発狂する者あるに至れり。憐れむべきに非ずや。医師の話を聞くに、近来は神経病及び発狂の病人多しという。
西洋の文明固より慕うべし、これを慕いこれに倣わんとして日もまた足らずと雖ども、軽々これを信ずるは信ぜざるの優に若かず。彼の富強は誠に羨むべしと雖ども、その人民の貧富不平均の弊をも兼ねてこれに倣うべからず、日本の租税寛なるに非ざれども、英国の小民が地主に虐せらるるの苦痛を思えば、却って我農民の有様を祝せざるべからず。西洋諸国、婦人を重んずるの風は人間世界の一美事なれども、無頼なる細君が跋扈して良人を窘め、不順なる娘が父母を軽蔑して醜行を逞しうするの俗に心酔すべからず。
されば今の日本に行わるるところの事物は、果して今の如くにしてその当を得たるものか、商売会社の法今の如くにして可ならんか、政府の体裁今の如くにして可ならんか、教育の制今の如くにして可ならんか、著書の風今の如くにして可ならんか、加之現に余輩学問の法も今日の路に従って可ならんか、これを思えば百疑並び生じて殆ど暗中に物を探るが如し。この雑沓混乱の最中に居て、よく東西の事物を比較し、信ずべきを信じ、疑うべきを疑い、取るべきを取り、捨つべきを捨て、信疑取捨その宜しきを得んとするはまた難きに非ずや。
然り而して今この責に任ずる者は、他なし、ただ一種我党の学者あるのみ。学者勉めざるべからず。蓋しこれを思うはこれを学ぶに若かず、幾多の書を読み幾多の事物に接し、虚心平気活眼を開き、もって真実の在るところを求めなば、信疑忽ち処を異にして、昨日の所信は今日の疑団となり、今日の所疑は明日氷解することもあらん。学者勉めざるべからざるなり。
(明治九年七月出版)