目次 十一 十二 十三 十四 十五 十六 十七

学問のすすめ 四編

  学者の職分を論ず

 近来窃(ひそか)に識者の言を聞くに、「今後日本の盛衰は人智をもって明らかに計り難しと雖ども、到底その独立を失うの患はなかるべしや、方今目撃するところの勢いに由って次第に進歩せば、必ず文明盛大の域に至るべしや」と言って、これを問う者あり。或いは「その独立の保つべきと否とは、今より二、三十年を過ぎざれば明らかにこれを期すること難かるべし」と言って、これを疑う者あり。或いは甚だしくこの国を蔑視したる外国人の説に従えば、「迚(とて)も日本の独立は危し」と言って、これを難ずる者あり。固より人の説を聞きて遽にこれを信じ我望みを失するには非ざれども、畢竟(ひっきょう)この諸説は我独立の保つべきと否とについて疑問なり。事に疑いあらざれば問の由って起るべき理なし。今試みに英国に行き、ブリテンの独立保つべきや否と言ってこれを問わば、人皆笑って答うる者なかるべし。その答うる者なき何ぞや、これを疑わざればなり。然らば則ち我国文明の有様、今日をもって昨日に比すれば或いは進歩せしに似たることあるも、その結局に至っては未だ一点の疑いあるを免れず。苟もこの国に生まれて日本人の名ある者は、これに寒心せざるを得んや。今我輩もこの国に生まれて日本人の名あり、既にその名あればまたおのおのその分を明らかにして尽すところなかるべからず。固より政の字の義に限りたる事をなすは政府の任なれども、人間の事務には政府の関わるべからざるものもまた多し。故に一国の全体を整理するには、人民と政府と両立して始めてその成功を得べきものなれば、我輩は国民たるの分限を尽し、政府は政府たるの分限を尽し、互いに相助けもって全国の独立を維持せざるべからず。

 すべて物を維持するには力の平均なかるべからず。譬(たと)えば人身の如し。これを健康に保たんとなるには、飲食なかるべからず、大気、光線なかるべからず、寒熱、痛痒、外より刺衝して内よりこれに応じ、もって一身の働きを調和するなり。今俄にこの外物の刺衝を去り、ただ生力の働くところに任してこれを放頓することあらば、人身の健康は一日も保つべからず。国もまた然り。政は一国の働きなり。この働きを調和して国の独立を保たんとするには、内に政府の力あり、外に人民の力あり、内外相応じてその力を平均せざるべからず。故に政府はなお生力の如く、人民はなお外物の刺衝の如し。今俄にこの刺衝を去り、ただ政府の働くところに任してこれを放頓することあらば、国の独立は一日も保つべからず。苟も人身窮理の義を明らかにし、その定則をもって一国経済の議論に施すことを知る者は、この理を疑うことなかるべし。

 方今我国の形成を察し、その外国に及ばざるものを挙ぐれば、曰く学術、曰く商売、曰く法律、これなり。世の文明は専らこの三者に関し、三者挙らざれば国の独立を得ざること識者を俟たずして明らかなり。然るに今我国において一もその体を成したるものなし。

 政府一新の時より、在官の人物力を尽さざるに非ず、その才力また拙劣なるに非ずと雖ども、事を行うに当り如何ともすべからざるの原因ありて意の如くならざるもの多し。その原因とは人民の無知文盲即ちこれなり。政府既にその原因の在るところを知り、頻りに学術を勧め法律を議し商法を立つるの道を示す等、或いは人民に説諭し或いは自ら先例を示し百万その術を尽すと雖ども、今日に至るまで未だ実効の挙げるを見ず、政府は依然たる専制の政府、人民は依然たる無気無力の愚民のみ。或いは僅に進歩せしことあるも、これがため労するところの力と費やすところの金とに比すれば、その奏功見るに足るもの少なきは何ぞや。蓋し一国の文明は、独り政府の力をもって進むべきものに非ざるなり。

 人或いは云く、政府は暫くこの愚民を御するに一時の術策を用い、その智徳の進むを待って後に自ずから文明の域に入らしむるなりと。この説は言うべくして行うべからず。我全国の人民数千百年専制の政治に窘められ、人々その心に思うところを発露すること能わず、欺きて安全を偸み詐りて罪を遁れ、欺詐術策は人生必需の具となり、不誠不実は日常の習慣となり、恥ずる者もなく怪しむ者もなく、一身の廉恥すでに地を払って尽きたり、豈国を思うに遑あらんや。政府はこの悪弊を矯めんとして益々虚威を張り、これを嚇しこれを叱し、強いて誠実に移らしめんとして却って益々不信に導き、その事情あたかも火をもって火を救うが如し。遂に上下の間隔絶しておのおの一種無形の気風を成せり。その気風とはいわゆる「スピリット」(spirit社会の気風)なるものにて、俄にこれを動かすべからず。近日に至り政府の外形は大いに改まりたれども、その専制抑圧の気風は今なお存せり。人民もやや権利を得るに似たれども、その卑屈不信の気風は依然として旧に異ならず。この気風は無形無体にして、遽に一個の人につき一場の事を見て名状すべきものに非ざれども、その実の力は甚だ強くして、世間全体の事跡に顕わるるを見れば、明らかにその虚に非ざるを知るべし。

 試みにその一を挙げて言わん。今在官の人物少くなしとせず、私にその言を聞きその行いを見れば概ね皆闊達大度の士君子にて、我輩これを間然する能わざるのみならず、その言行或いは慕うべきものあり。また一方より言えば、平民と雖ども悉皆無気無力の愚民のみに非ず、万に一人は公明誠実の良民もあるべし。然るに今この士君子、政府に会して政をなすに当り、その為政の事跡を見れば我輩の悦ばざるもの甚だ多く、またかの誠実なる良民も、政府に接すれば忽ちその節を屈し、偽詐術策をもって官を欺き、嘗て恥ずるものなし。この士君子にしてこの政を施し、この民にしてこの賎劣に陥るは何ぞや。あたかも一身両頭あるが如し。私に在っては智なり、官に在っては愚なり。これを散ずれば明なり、これを集むれば暗なり。政府は衆智者の集まる所にして一愚人の事を行うものと言うべし。豈怪しまざるを得んや。畢竟その然る由縁は、かの気風なるものに制せられて人々自ら一個の働きを逞しうすること能わざるに由って致すところならん乎。維新以来、政府にて、学術、法律、商売等の道を興さんとして効験なきも、その病の原因は蓋しここに在るなり。然るに今一時の術を用いて下民を御しその知徳の進むを待つとは、威をもって人を文明に強ゆるものか、然らざれば欺きて善に帰せしむるの策なるべし。政府威を用うれば人民は偽をもってこれに応ぜん、政府欺を用うれば人民は容を作ってこれに従わんのみ。これを上策と言うべからず。仮令いその策は巧なるも、文明の事実に施して益なかるべし。故に云く、世の文明を進むるにはただ政府の力のみに依頼すべからざるなり。

 右所論をもって考うれば、方今我国の文明を進むるには、先ずかの人心に浸潤したる気風を一掃せざるべからず。これを一掃するの法、政府の命をもってし難し、私の説諭をもってし難し、必ずしも人に先って私に事なし、もって人民の由るべき標的を示す者なかるべからず。今この標的となるべき人物を求むるに、農の中にあらず、商の中にあらず、また和漢の学者中にも在らず、その任に当たる者はただ一種の洋学者流あるのみ。

 然るにまた、これに依頼すべからざるの事情あり。近来この流の人漸く世間に増加し、或いは横文を講地或いは訳書を読み、専ら力を尽すに似たりと雖ども、学者或いは字を読みて義を解さざるか、或いは義を解してこれを事実に施すの誠意なきか、その所業につき我輩の疑いを存するもの尠からず。この疑いを存するとは、この学者士君子、皆官あるを知って私あるを知らず、政府の上に立つの術を知って、政府の下に居るの道を知らざるの一事なり。畢竟漢学者流の悪習を免かれざるものにて、あたかも漢を体にして洋を衣にするが如し。

 試みにその実証を挙げて言わん。方今世の洋学者流は概ね皆官途に就き、私に事をなす者は僅に指を屈するに足らず。蓋しその官に在るは、ただ利これ貪るのためのみに非ず、生来の教育に先入して只管政府に眼を着し、政府に非ざれば決して事をなすべからざるものと思い、これに依頼して宿昔青雲の志を遂げんと欲するのみ。或いは世に名望ある大家先生と雖どもこの範囲を脱するを得ず、その所業或いは賎しむべきに似たるも、その意は深く咎むるに足らず、蓋し意の悪しきに非ず、ただ世間の気風に酔って自ら知らざるなり。名望を得たる士君子にして斯の如し。天下の人豈その風に倣わざるを得んや。

 青年の書生僅に数巻の書を読めば乃ち官途に志し、有志の町人僅に数百の元金あれば乃ち官の名を仮りて商売を行わんとし、学校も官許なり、説教も官許なり、牧牛も官許、養蚕も官許、凡そ民間の事業、十に七、八は官の関せざるものなし。これをもって世の人益々その風に靡き、官を慕い官を頼み、官を恐れ官に諂い、毫も独立の丹心を発露する者なくして、その醜体見るに忍びざることなり。譬えば方今出版の新聞紙及び諸方の上書建白の類もその一例なり。出版の条令甚だしく厳なるに非ざれども、新聞紙の面を見れば政府の忌諱に触るることは絶えて載せざるのみならず、官に一毫美事あれば慢にこれを称誉してその実に過ぎ、あたかも娼妓の客に媚びるが如し。また、かの上書建白を見ればその文常に卑劣を極め、妄に政府を尊崇すること鬼神の如く、自ら賎ずること罪人の如くし、同等の人間世界にあるべからざる虚文を用い、恬として恥ずる者なし。この文を読みてその人を想えば、ただ狂人をもって評すべきのみ。然るに今、この新聞紙を出版し或いは政府に建白する者は、概ね皆世の洋学者流にて、その私について見れば必ずしも娼妓に非ず、また狂人にも非ず。

 然るにその不誠不実、かくの如きの甚だしきに至る所以は、未だ世間に民権を主唱する実例なきをもって、ただかの卑屈の気風に制せられその気風に雷同して、国民の本音を見わし得ざるなり。これを概すれば、日本にはただ政府ありて未だ国民あらずと言うも可なり。故に云く、人民の気風を一洗して世の文明を進むるには、今の洋学者流にもまた依頼すべからざるなり。

 前条所記の論説果して是ならば、我国の文明を進めてその独立を維持するは、独り政府の能するところに非ず、また今の洋学者流も依頼するに足らず、必ず我輩の任ずるところにして、先ず我より事の端を開き、愚民の先をなすのみならず、またかの洋学者流のために先駆してその向かう所を示さざるべからず。今我輩の身分を考うるに、その学識固より浅劣なりと雖ども、洋学に示すこと日既に久しく、この国に在っては中人以上の地位にある者なり。輓近世の改革も、もし我輩の主として始めし事に非ざれば暗にこれを助け成したるものなり。或いは助成の力なきもその改革は我輩の悦ぶところなれば、世の人もまた我輩を目するに改革家流の名をもってすること必せり。既に改革家の名ありて、またその身は中人以上の地位に在り、世人或いは我輩の所業をもって標的となす者あるべし。然らば即ち、今、人に先って事をなすは正にこれを我輩の任と言うべきなり。

 そもそも事をなすに、これを命ずるはこれを諭すに若かず、これを諭すは我よりその実の例を示すに若かず。然り而して政府はただ命ずるの権あるのみ、これを諭して実の例を示すは私の事なれば、我輩先ず私立の地位を占め、或いは学術を講じ、或いは商売に従事し、或いは法律を議し、或いは書を著し、或いは新聞紙を出版する等、凡そ国民たるの分限に越えざる事は忌諱を憚らずしてこれを行い、固く法を守って正しく事を処し、或いは政令信ならずして曲を被ることあらば、我地位を屈せずしてこれを論じ、あたかも政府の頂門に一釘を加え、旧弊を除きて民権を恢復せんこと、方今至急の要務なるべし。

 固(もと)より私立の事業は多端、且つこれを行う人にもおのおの所長あるものなれば、僅に数輩の学者にて悉皆その事を非ざれども、我目的とするところは事を行うの巧みなるを示すに在らず、ただ天下の人に私立の方向を知らしめんとするのみ。百回の説諭を費やすは一回の実例を示すに若かず。今我より私立の実例を示し、人間の事業は独り政府の任にあらず、学者は学者にて私に事を行うべし、町人は町人にて私に事をなすべし、政府も日本の政府なり、人民も日本の人民なり、政府は恐るべからず近づくべし、疑うべからず親しむべしとの趣を知らしめなば、人民漸く向かうところを明らかにし、上下固有の気風も次第に消滅して、始めて真の日本国民を生じ、政府の玩具たらずして政府の刺衝となり、学術以下三者も自ずからその所有に帰して、国民の力と政府の力と互いに相平均し、もって全国の独立を維持すべきなり。

 以上論ずるところを概すれば、今の世の学者、この国の独立を助け成さんとするに当たって、政府の範囲に入り官に在って事をなすと、その範囲を脱して私立するとの利害得失を述べ、本論は私立に左袒したるものなり。すべて世の事物を精しく論ずれば、利あらざるものは必ず害あり、得あらざるものは必ず失あり、利害得失相半ばするものはあるべからず。我輩固より為にするところありて私立を主張するに非ず、ただ平生の所見を証してこれを論じたるのみ。世人もし確証を掲げてこの論説を排し、明らかに私立の不利を述ぶる者あらば余輩は悦んでこれに従い、天下の害をなすことなかるべし。

   附録

 本論につき二、三の問答ありよってこれを巻末に記す。

 その一に云く、事をなすは有力なる政府に依るの便利に若かずと。答云く、文明を進むるは独り政府の力のみに依頼すべからず、その弁論既に本文に明らかなり。且つ政府にて事をなすは既に数年の実験あれども未だその奏功を見ず、或いは私の事も果してその功を期し難しと雖ども、議論上において明らかに見込みあればこれを試みざるべからず。未だ試みずして先ずその成否を疑う者は、これを勇者と言うべからず。

 二に云く、政府人に乏し、有力の人物政府を離れなば官務に差支あるべしと。答云く、決して然らず、今の政府は官員の多きを患うるなり。事を簡にして官員を減ずれば、その事務はよく整理してその人員は世間の用をなすべし、一挙して両得なり。故さらに政府の事務を多端にし、有用の人を取って無用の事をなさしむるは策の拙なるものと言うべし。且つこの人物、政府を離るるも去って外国に行くに非ず、日本に居て日本の事をなすのみ、何ぞ患うるに足らん。

 三に云く、政府の外に私立の人物集まることあらば、自ずから政府の如くなりて、本政府の権を落すに至らんと。答云く、この説は小人の説なり。私立の人も在官の人も等しく日本人なり。ただ地位を異にして事をなすのみ。その実は相助けて共に全国の便利を謀るものなれば、敵に非ず真の益友なり。且つこの私立の人物なる者、法を犯すことあらばこれを罰して可なり、毫も恐るるに足らず。

 四に云く、私立せんと欲する人物あるも、官途を離れば他に活計の道なしと。答云く、この言は士君子の言うべき言に非ず。既に自ら学者と唱えて天下の事を患うる者、豈無芸の人物あらんや。芸をもって口を糊するは難きに非ず。且つ官に在って公務を司るも私に居て業を営むも、その難易なるを理なし。もし官の事務易くしてその利益私の営業よりも多きことあらば、即ちその利益は働きの実に過ぎたるものと言うべし。実に過ぐるの利を貪るは君子のなさざるところなり。無芸無能、僥倖に由って官途に就き、慢に給料を貪って奢侈の資となし、戯れに天下の事を談ずる者は我輩の友に非ず。

(明治七年一月出版)

目次 十一 十二 十三 十四 十五 十六 十七