基 調 講 演
「ロータリーあれこれ」
パストガバナー
辻 兵 吉
実は基調講演という形で、ロータリーの地区大会には必ずロータリーに関する勉強というか、いろんな話がなくてはならないことになっております。
先程の中島治一郎会長代理のお話で、もうかなり新しいロータリーの情報は皆さんお聞きだと思います。
10月の8・9日、ガバナー、パストガバナー、ガバナーノミニーがアジアの第一から第四ゾーンまでのロータリー研究会(インスティテュート)という勉強会がありまして、これがちょうどこの大会の直前にあったものですから、それに出席して何かいろんな話が出るだろうから、そういうことに関連して何かお話ししようと思っておりましたので、「ロータリーあれこれ」という漠然とした命題でお話しさせていただきたいと思います。
実は今、アジア第一から第四ゾーンまでありますけれども、2年前までは第一と第三が日本国内のゾーンでありまして、それぞれのゾーンから順繰りにRI理事が出ておりまして、今回から4つのゾーンになった一番最初の第一ゾーンの竹山さんという札幌南ロータリークラブのパストガバナーで今RI理事で今回の研究会の招集者になったわけであります。7つのセクションに分かれまして、それぞれいろいろセッションがあったわけでありますが、私はその中で2つばかり大変素晴らしいセッション、今回の勉強会で非常に参考になったセッションがありました。
一つは、私どもの今回の会長代理にお見えになった中島さんがリーダーをなさいました「職業奉仕に関する問題」であります。これはご承知のようにバブルの崩壊の後日本の国を代表する一流の経済団体、あるいは銀行、証券会社、その他の機関でいろいろな問題があって、要するに職業倫理が甚だうまくないということで、これにロータリアンとしてどのように対応するかというテーマに基づいたセッションでありました。
その次に、一番最後のセッションでありましたが、今年5月の角館町での大会、黒澤ガバナーの大会で、その時RI会長代理でおみえになった道下さん(北海道の2500地区パストガバナー)でありますが、道下さんがリーダーになられました「21世紀にロータリーはどうするべきか」という未来のロータリーについてのセッションがありました。この二つのセッションが私にとりまして大変感動的であったわけでありますので、これを主体にして一寸お話ししたいと思います。
先ず第一に職業奉仕の問題を後に致しまして、これからの「21世紀ロータリーはどうあるべきか」というセッションの中でこれも3年ばかり前にRI会長代理で見えられましたパストガバナー深川純一さんがパネラーとして出ておられました。未来を語るには過去歴史を勉強するべきであるというスピーチがありました。私は最近ロータリーに入られた方々あるいは最近のインターシティーミーティングなどでも、あまりロータリーの歴史にふれられないわけでありまして、そういう意味でロータリークラブとは一体どうやって出来上がったのかということについてやはり勉強することがロータリーを語るのに一番大切なことではないかなあということで一寸私たちロータリーのファンダーでありますポールハリスについて少しお話を申し上げたいと思います。
ポールハリスが生まれた年が明治元年1868年で実は来年の1998年が生誕130年になる年にあたるわけであります。しかも面白いことに、日本にロータリークラブを紹介したのが米山梅吉氏でありますけれども、この方も明治元年生まれであり、しかも同じ1947年に亡くなっておられます。そう言う意味で目に見えないつながりが出てくるわけであります。
私が入会したのが1954年でありまして、今から40数年前28歳で入ったわけでありますが、そのころまだポールハリスとお会いした何人かの方がおられました。ポールハリスさんが日本におみえになって会ったときのお話を伺いますと大変お淑やかな素晴らしい紳士で心の広い方で、優しい紳士であったというお話を承ったのでありますが、実はポールハリスの歴史を調べますと大変やんちゃな坊主であったようであります。ウィスコンシン州にあるミシガン湖のほとりの町であります。ラシンという小さな町に生まれて、お父さんが早々と事業に失敗されまして、3歳の時にお兄さんと一緒にニューイングラントの町に移ります。そこでおじいさんとおばあさん、この方々はニューイングラント地方でバーモント州というのはイギリスから移住してきたアングロサクソンの人達でありますが、大変なピューリタンで要するにキリスト教の大変な信者でありまして、非常に質実剛健とか倹約とか勤労とかを尊ぶ雰囲気の中で育ったわけであります。お兄さんはその後数年経っておばさんに連れられて別のところへ行き、最終的にはポールハリスだけがおじいさん、おばあさんの手で育てられたわけであります。非常に正義感に富んでおった方らしいですけれども、やんちゃ坊主で暴れ回ったという記録が残っておりますが、大学もいくつかぐるぐる回って、最後はアイオア州立大学の法学部を出て弁護士の資格を取られました。アイオア州立大学を卒業するまでにバーモンドの大学とか、或いはプリンストン大学とかバーモンドの陸軍予備校とか、そういういくつかの学校を転々と歩いて、最終的にはアイオア州立大学の法学部を卒業して弁護士の資格を取ったわけであります。
しかも、弁護士の資格を取ってすぐ弁護士になったわけではなくて、先輩はペイペイの大学出の弁護士さんになるよりは、5年くらいいろんなところでいろんな経験をしてそれから弁護士をやったらどうか、ということでアメリカの国内いろんな所を回って歩きました。ポールハリスのこの5年間の間、彼はいろんな仕事をしております。勿論筋肉労働者もやりましたし、先生、劇団員、あるいはカウボーイもやったり、新聞記者をやったり、そして外国も見たいというので、カウボーイとしてイギリスへ牛をつれて労働者として渡ったり、最後はアメリカのフロリダ州にジョージ・クラークという大理石の商売を経営している方がおり、そこのセールスマンとしてヨーロッパへ何回か渡っているという経歴の持ち主であります。
その5年間のうちにハワイを除いた全米を回っていろんな商売をやり、28歳の時1896年にシカゴへ来たわけであります。彼がシカゴへ来た当時は、シカゴは商業都市として、ものすごい勢いで発展をしていた町だったそうであります。従って仕事そのものは結構あったそうでありますが、ただ商業道徳が地に落ちておりまして、大変に寂しい思いをしたのであります。つまり自分の故郷ではいろんなピューリタン的な社会の中で育ってきて、正義感に満ち溢れた生活を幼い頃しておって、しかしシカゴへやって来て例えばものを買う場合に売る方の側に責任が無くても、買う方が変な物を買わないように注意しろというぐらいの、全てそのような風潮で、つまり思いやりとか、相手に対する善意とかではなくて、儲けるためには少しばかりペテンにかけてもしょうがないというような、かなり商業倫理・商業道徳が地に落ちた時代であったようであります。従って彼に頼みに来る人達がそのような人が多いものですから、非常に精神的な不安感と同時に本当に本心を語り合える人がいない、いろいろな意味で彼は悶々と寂しさを何とかして解消しようと思っておりました。ある時自分と同業の弁護士が友達と親しく話しており、よく見るとそれぞれ職業が違う職業の人達とフランクに話をしているところから、彼はハッと思いついて、一業一人ということで仲間を作ったならば思い切っていろんなことを話し合えるだろう、同時にやはり職業道徳が地に落ちた時代、お互いに職業倫理というかお互い思いやりのある考え方を持った連中が集まろうじゃないか、といってやっと1905年の2月23日シカゴの一番最初はガスターバスロアという鉱山技師の事務所で例のデュアボン街ユニティビルの7階で4人のシルベスタシール、ハイラムショウレイ、ガスターバスロアとポールハリスで始めたわけでありますが、その次の月3月にハリーダグラスとウィリアムジェンセンの二人の印刷屋さんと不動産屋さんに入ってもらって、いよいよ本格的にスタートになったわけであります。
その時に、一業種一人という職業の選び方をしたことと、やはり、友情、親睦、お互いの思いやり、ということが中心となって始まったわけであります。従ってロータリーそのものは、基本的に職業奉仕という理論というものが先になっているのであります。
1908年にアーサーフレデリックシェルドンという方が入ってきて、この方は大学で経営学の勉強をされた方で、書籍商であったわけですが、本屋さんのやり方が気に入らなく、インチキ的な商売をやることで怒りまして本屋を辞め、自分でセールスマンの学校を作って商業道徳を鼓吹したわけで、ご承知のロータリーソングで ROTARY の中にありますように、「He profit most, Who serves best」という言葉がございますけれども「最も多く奉仕するもの、最も多く報いられる」この標語を発見したのがシェルドンであります。
従ってロータリーの基本的な問題とは職業奉仕つまり職業倫理、職業道徳というものから始まるわけであります。最初のロータリークラブは巡り巡って各会場を回って歩いたので、それから「ロータリー」という名称が出てくるわけでありますが、同時にやはりお互いに職業道徳の倫理観に富む人達が集ってお互い助け合うという精神から始まったわけであります。
社会奉仕的な感覚はその後で或る人を誘いに行った時に「お前さん達は金儲けの話ばかりしている会じゃないか」と言われて、それではシカゴ市の為に何かしようということで公衆便所を作ったのが社会奉仕の始まりだということであります。
職業奉仕の基本的な考え方は、ロータリーの最も大切にするべき基本理念だと思います。これを日本では大変有名になっておりますが、23の34というあのロータリーの奉仕哲学ロータリアンだけでなく、人間というものはいつも自分のために何かをしたいという「利己」利己的欲望が非常に強い、又同時に人の為に何かやりたいという気持ち「利他」を持っている。そういう二つの利己的、利他的な気持ちのバランスをとってやっていくのが「ロータリーの奉仕の哲学だ」というのが、例の1923年の国際大会で決議された有名なロータリーの哲学の考え方でありますが、今回のこのインスティテュートにおきます職業奉仕の問題、或いはこれからのロータリーはどうあるべきかという問題もやはりロータリーの基になる基本的な考え方、常に倫理観を持ち続ける商業人としてのあり方を持つべきであるということについての、いろんな方々からご意見があり、今日は時間がありませんので、詳しいことを申し上げることはできませんが、私にとっても大いに勉強になったのであります。
私はここに本をたくさん持って参りましたが、このポールハリスの書きました「ロータリーへの私の道」「My road to rotary」という本、やはりポールハリスが書きました「This Rotary age」「ロータリーの思想」という本の中にポールハリスが、ロータリーをどうして作ろうとしたかという考え方がたくさん載っております。
ハロルドトーマスという1959〜60年のRI会長でありますが、「ロータリーモザイク」という本を書いております。これは要するにポールハリスがロータリーを作ってから、1970年代くらいまでのロータリーのいろんないきさつが書かれている本であります。この中には最も苦難した道、ロータリーが出来て10年も経たないうちに第一次世界大戦が始まり、そしてその後10年ないし15年ぐらいして第二次世界大戦が始まったわけであります。
ロータリーの前半は苦難の道、つまり戦争中における苦難の道を歩いているわけでありますが、その内容について非常に詳しく書かれておりまして、ハロードトーマスの「ロータリーモザイク」という本はその意味でロータリーの勉強に役立つと思います。私はガバナーになる時に「奉仕こそ我が務め」という本を読みましたが、1957年〜65年の間経営学をしばらく勉強したことがございます。その頃は宇野政雄早稲田大学教授とか立教大学の野田一夫教授とか、いわゆる経営学のマーケティングの考え方について勉強する機会がありましたが、実は1975年にガバナーを務めることになりまして、その時にロータリーをもう一度勉強し直そうということで「奉仕こそ我が務め」という本を見ましたら、もうすでに1950年代には本に出ておりました。市場管理とかマーケティングという感覚「事業は客のためにある」という新しい企業感覚がもうすでにこの本の中にいっぱい詰まっておりました。ロータリーが職業倫理とかマーケティングという新しい経営の考え方が常に顧客を中心に物を考える考え方に徹した団体であることを始めて知りまして、ロータリーに一生懸命になることがわれわれ職業人としての務めであるなあと感じたわけであります。ロータリーを勉強するのに、この地区では、青森ロータリークラブに斎藤堅治先生、東北六県が未だ一地区時代の最後のガバナーですが、斎藤先生の書いた「落穂集」というのが昭和51年に出されておりまして、これの文庫本まで出ておりますが、これなどもロータリーを勉強するに非常に大きなプラスになると思います。それから佐藤千寿さん1974〜75年のガバナーでありまして、ロータリーの標語などを日本語訳をする例えば「Show Rotary Cares」を「ロータリーの心を」先程会長代理が言っておられましたが、「Show」の言葉を日本語にしないで「ロータリーの心を」と出しただけで、何か我々自身が「Show Rotary Cares」というものを何となく掴める感じ、そのような翻訳を佐藤さんがなさっております。けれども、佐藤さんの書いた「職業倫理」とか「ロータリーの誘い」とかいろんなものを書いておりますが、このような方の本を時々読んでみますと、ロータリーの大変勉強になるのではないかと思います。
又ご趣味のある方は「手続要覧」をご覧になるときに、なるべく英文の手続要覧と和文の手続要覧を二つそろえて見ると、いろんな面白い表現が出ております。例えば女性会員問題が1986年の規定審議会では、理事会から出されたけれども否決されたわけですが、その次に出た89年の規定審議会では、女性会員が通っているわけです。言葉からいきますと、male person の male が取れただけ、それから men を person に直しただけなんですけれども、この為に私は1975年のモントリオール国際大会に出た時に、すでにその頃から女性会員問題は出ていたわけで、女性会員問題がアメリカの大審院で判決が下るぐらい、ロータリーというものは偉大な存在になったということであります。普通全くプライベートな団体では女性が入るとか、男だけのクラブであるとか、無いとかはどうでも良いことで、要するに自分たちの好みでだけで作っている全くフリーなクラブについていちいち法律がああの、こうのと言う事はありません。ところがロータリーのような組織になりますと、男女差別をつけること自体が社会悪であるというところまで、ロータリーの組織が大きくなり、ロータリーのやっているいろんな事業が社会的に大変大きな影響力を持っております。ロータリアンであるということは、それなりにその人の人格が信用され、その人の職業、その人の事業が全く信頼されるという一つの証拠として、女性会員問題の論議もあります、つまりロータリーの定款を変えないうちに、カリフォルニアのあるクラブが女性会員を入れたとたんに国際ロータリーから除名になり、それに対して裁判を何回か続けて、ついに1987年か88年かに大審院で女性を入れなければならないということを法律で定めて終わったわけです。そのようにロータリーという組織は世界に認められた、パブリックな存在であるということを私は女性会員問題が示しているように思います。
大変お粗末な話でしたが、私の話をこれで終わります。
辻 兵吉氏プロフィール 生年月日 大正15年5月28日 [学 歴] 昭和27年3月 東京商科大学卒(現 一橋大学) [職 歴] 昭和30年4月〜61年4月 樺メ兵取締役社長 昭和61年4月〜 同 取締役会長 昭和30年4月〜60年12月 秋田いすゞ自動車且謦役社長 昭和60年12月〜 同 取締役会長 昭和35年3月〜 辻不動産且謦役社長 その他十数社の取締役・社長・会長を兼ねる [公職歴] 昭和61年2月〜平成2年5月 秋田商工会議所会頭 平成5年12月〜 同 会頭 平成9年5月〜 秋田県体育協会名誉副会長 平成7年5月〜 日本バスケットボール協会 会長 [ロータリー歴] 1954年8月 秋田RC入会 1956〜57年 同 幹事 1973〜74年 同 会長 1975〜76年 第2540地区ガバナー 1977〜78年 RI青少年活動委員会委員 1980〜81年 RI世界社会奉仕委員会委員 1984〜85年 RI世界社会奉仕諮問委員会委員 1990〜91年 RI世界社会奉仕委員会委員 1990〜91年 RI国際協議会グループリーダー 1991〜92年 RI国際協議会グループリーダー 1997〜98年 RI人権尊重推進グループ・アドバイザー [賞 罰] 平成3年5月 藍綬褒章 平成3年11月 秋田県文化功労者賞
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