記 念 講 演

「どうなる日本の政治」

政治評論家

森 田   実 さん

 森田実でございます。どうぞよろしくお願いいたします。

 ◇11月危機説

私の実感から申しますと、ここ数か月は日本にとって政治・経済の面できわめて重大な時期だと思います。最近、週刊誌などで11月危機説が流れておりますが、日本の危機は単に一橋本内閣の話だけではないのではないかと私は感じています。

 と言いますのは、たとえば現在株価は1万7千円台の半ばで推移していますが、外国人投資家の目からすると、日本の株価の実勢はそれよりかなり低く1万4千円台ではなかろうか、郵便貯金や年金などの公的資金で株価を支えている結果、1万7千円台半ばをようやく保っているのではないか−これが何人かの外国人投資家の見方です。やがて実勢が現れ、さらに多くの海外企業が11月末の決算を前にして日本の株を大量に手放す可能性があって、それは日本の株価のパニック的低落を招くおそれなしとしない、ということが噂として流れております。このような噂が流れるということはそれを阻止する対策を考える背景になります。危機的な噂を阻止しようとする動きを強めるわけですから、社会の健全性を保つうえで危機的な噂が流れることも必要なことだとは思いますけれども、そうした噂が根も葉もないものだと言えないところに今日の日本経済の問題があるわけです。

 実はここ3年間、日本政府は経済企画庁、大蔵省、日銀、通産省を含めまして「日本の景気は緩やかな回復過程にある」との立場をとってきました。ところが今年の夏ごろから政府の景気判断は実感とずれているのではないかと言われるようになりました。とくに地方の経済界にそうした声が強くなりました。それが最近になってようやく政府の景気判断にも影響を与えるようになりまして、経済企画庁は「緩やかな景気回復の動きが緩やかになりつつある」と言い始めた。私はこんな訳のわからない言葉遣いをしていては官庁の信用に傷がつくのではないかと思いますが、それはともかく、そのような形で政府の景気判断も日本の景気の状況がよくないという多くの人が抱いている実感に一歩近づいてきているわけです。

 ようやく軌道修正をしたわけですが、この間の政府の景気判断には大いに問題があったと思います。私は官庁が景気判断をするに当たって3か月ごとの経済統計をベースにするのは当然だと思いますが、しかし、その背景には国民経済の実感を掴む努力がなければならない。とりわけこのように経済の変動が激しいときにはそのような姿勢が不可欠です。

 私は30年ほど前『経済セミナー』という経済雑誌の編集長をしていました。『経済セミナー』は経済学を学ぶ学生を主たる読者対象にした学問的な雑誌ですから、株の動向など現実の動きは編集上のテーマではなかったのですが、しかし経済を取り扱っている以上、編集者たるものつねに現実の経済の動きを知っていなければなりません。ですから私は会社近くの商店街の人たちをはじめとしていろいろの人の声を聞くように努めたのですが、なかでも耳を傾けたのが編集活動、取材活動で動き回るために使っていたタクシーの運転手さんの話です。タクシーの運転手さんは人の動きで景気の良し悪しを実感していますし、また、車のなかは一種の密室ですからお客さんも不用意な会話をすることが多い。タクシーの運転手さんはその意味では貴重な取材源でした。

 ◇役人の萎縮

 ちょっと話が逸れましたが、結局、統計をとりそれを集計するまでの3か月ないし4か月の間に現実の経済は動く。その動く経済の実態を経済界から聞き、それを合わせて判断をしなければ有効な景気判断はできないのですが、実のところ、最近、役所は現実に動いている経済についての直接取材をほとんど行っていません。役人の腰は重く動きは非常に鈍くなっています。これはかつての官庁に比べて著しい変化です。

 その直接的な原因は例の「泉井事件」です。昨年の末に泉井純一という大阪の石油卸商が脱税容疑で逮捕・起訴され、いま裁判にかけられていますが、この人が巨額の金を使って政治家や官庁上層部を接待漬けにしていたとして大騒ぎになった。従来、各省庁はそれぞれ別個に、たとえば通産省なら通産省、厚生省なら厚生省、運輸省なら運輸省として役人のあり方を規定した行動規範、一種の倫理綱領をもっていたのですが、この事件を契機に政府は各省庁共通の統一した行動規範をつくりました。これは「改正倫理綱領」と通称されていますが、そのなかに、民間との交際について、たとえば利害関係のある民間人と理由もなく会ってはならないとか、民間人と会食するときは費用は折半にせよというような趣旨のの規定が盛り込まれました。

 その結果、中央官庁の上層部の多くは、「君子危うきに近よらず」「触らぬ神に祟りなし」ということで、自分の身綺麗を保つためには民間人とは接触しないほうがよいと考え民間との接触を断ちました。しかし、中央官庁から地方に派遣された人たち、たとえば通産省の場合は各地方の通産局、建設省の場合は各地方の建設局に派遣された人たちは民間との接触を断ってしまっては仕事になりません。役所には交際費の予算はありませんから、民間人と接触するためには自腹を切らざるを得ない。その働き盛りの人たちは子どもの教育費など生活経費がいろいろかかる人たちですからその負担は容易ではありません。そういう人たちもいますが、中央省庁の上層部は全体として民間との接触に及び腰になりました。

 この事態は率直に言って「水清ければ魚住まず」です。民間との接触を断てば、たしかにこの間起きたような不祥事は起きません。しかしそのかわり民間の情報を直接得る機会は失われます。中央官庁は巨大な権限をもっていながら、その権限を民間の実態に合わせて使っていない−これが今日のわが国の現状です。

 たとえば現在景気が低迷している原因の一つとして金融機関の貸し渋りがあげられています。銀行のガードが固くなりなかなか融資に応じてくれない。銀行としてはバブル期の経験に懲りたということもありましょうし、大蔵省による「早期是正措置」という行政指導もありましょうが、もっと根本的には、戦後のいわば右肩上がりの経済成長時代のある時点から、とくにバブル期において、金融機関は土地などの担保能力がありさえすれば金を貸し出すという担保第一主義になりました。経営者の能力やその企業がもつ人材、技術開発力といった目に見えない将来性を見込んで融資するという姿勢が消え、土地など目に見える担保があるかないかが融資の第一基準になりました。その担保の評価が低くなっているわけですから金融機関の貸し渋りが起こり、たとえ担保はなくても将来性のある企業、経営者であれば融資しよう、これを育てようという方向に向かわない。その考え方が修正されないかぎり、将来性のある企業、有能な経営者を育てようという方向に向かわないのが現状です。

 もし大蔵省の上層部が昔のような積極性をもっていれば、銀行経営者を説得して、低金利を多くの経営者や企業家が役立ててくれるよう、貸し渋りをやめてお金が動くようにしましょう。もしそこに問題が起こったら政府が責任をとりますよ≠ニ国民経済を凍りつかせるような状況を克服しようとしたでしょう。それが昔の元気だったころの大蔵省の上層部でしたが、いまは動きません。行政改革やマスコミなどの役人に対する批判の厳しさから、動けば叩かれるという危機感もあるのでしょう。凍りついたように役所の活動が止まってしまっているのです。

 私は率直に言って倫理綱領の改正、その実施には少し行き過ぎがあると思います。民間の人と接触しながらも変なことが起こらないようにする−多くの役人はこの道を踏み外さないようにしています。民間との接触を断つということはとりもなおさず民間の情報が官庁に反映しなくなるということですから、これはゆゆしき事態だなあと思います。役所の萎縮はそのような悪影響を及ぼしているのです。

 いまひとつ重要な点は、日本は戦後、かつての天皇制から主権在民の国に生まれ変わり、国民が選んだ国会議員によって構成される国権の最高機関たる議会で選ばれた内閣総理大臣のもとに内閣が組織され、それぞれの行政が行われるシステムになりました。つまり政治が行政を主導しなければならないのですが、しかし、明治以来長年の習慣になっている役人主導の体制はなかなか変えられない。自社さ連立政権下、実質的には自民党が政策判断の主役になっているわけですが、これは自民党の独自の判断で政策立案をしているわけではありません。八十数万の中央官庁の職員、とくに2万人の日本のエリート官僚たちが自民党と一体になって政治を行っており、その過程のなかで役人の提供するデータが政策立案にあたっての重要な判断材料になっているのです。

 したがって、役所が国民経済の実態がわからず、景気は明らかに下降局面に入っているにもかかわらず緩やかな回復過程にあるというような間違った判断をすれば、政治もその判断に引きずられる。実は橋本内閣は緩やかな景気回復が続くと判断し、その前提のうえで橋本6大改革を推進することになったのです。景気が堅調を保つかぎり、それは6大改革のフォローの風になり、橋本さんは最近の自民党の首相には珍しいほど国民の支持も高かった。景気がよいことと国民の支持が高いことが6大改革を推進する橋本さんのエネルギーになっていたのです。それが9月上旬までは続いていました。
 ◇橋本内閣支持率の急落

 ところが9月中旬になってこの二つの柱が突如として崩れます。まず国民の内閣支持率が落ち、同時に景気がよくないことがはっきりしてきました。景気がよくないことを通産大臣も認め、最近では日銀の短観も認めるようになりました。この二つの変化が橋本政権をめぐる政治状況を一変させました。

まず世論調査に現れた国民の内閣支持率のほうから見ますと、橋本さんは9月11日の自民党両院議員総会において競争相手がないまま自民党総裁に再任されます。このとき党役員人事をめぐってすったもんだの騒ぎがあったわけですが、結局、党役員は全員留任になり、内閣改造だけが行われることになった。そして佐藤孝行さんが総務庁長官に任命されたのですが、私が直接取材しているかぎりでは、この人事がこれほど重大問題になるとは当事者の方々は考えていなかったようです。

 しかし、2つの要因によって政界の空気は一変します。ひとつは世論調査において内閣支持率が急落したこと、もうひとつは、9月15日の敬老の日をはさんだ国会休会のあいだ若い代議士は選挙区に帰りましたが、このとき地元で有権者から厳しい批判を浴びたことです。

 まず世論の変化から申しあげますと、第二次橋本内閣ができた翌日の9月12日からマスコミは世論調査の準備に入り、9月13日から15日にかけて調査を実施しました。その調査結果を最初に報道したのがテレビ朝日系の夜10時からの「ニュースステーション」です。最近ニュース番組の視聴率は悪くほとんど一ケタ台なのですが、久米宏さんがニュースキャスターを務めているこの番組だけは例外でいまも二ケタ台を維持しているのですが、ここで8月に56%だった橋本内閣支持率が9%落ちて47%になったという報道がなされました。私はこの夜、何人かの自民党議員に電話で取材しましたが、この段階での反応はちょっと厳しいなあ≠ニいう感じのものでした。後々報道されたように橋本首相周辺は5〜6%程度の支持率の低下は覚悟していましたから、マイナス9%といっても1ケタ台の支持率の低下についてさしたる危機感は抱かなかったようです。

 しかし、16日に発表されたフジ・産経グループの世論調査結果−支持率は18%落ちて34%になり不支持率は44%になったという調査結果は、政界の空気を変える大きなポイントになりました。フジ・産経グループの世論調査において橋本内閣の支持率はつねに不支持率を上回ってきた。それが10%も下回ったのですからこれは大きな衝撃でした。そしてこれを念押ししたのが共同通信社系の世論調査結果です。この調査結果は翌17日の各地方紙の朝刊に報道されたのですが、橋本内閣の支持率が3か月の前の52%から28%まで24%低下したというその内容は前夜のうちに永田町に流れました。全国の地方紙の総計が3000万部になるか4000万部になるか私はつまびらかにしませんが、とにかく総計何千万部という部数の地方紙を通じてこれが全国に流れたわけですから、これは永田町に衝撃を与え永田町の空気を一変させました。

 私も長いあいだ政治を眺め、そして各種世論調査の結果を丹念に追ってきたつもりですが、これほど瞬時にして世論の流れが変わり内閣支持率が急落するというのは本当に珍しいことでしてほとんど記憶にありません。NHKが行った世論調査の結果によりますと、これまで橋本さんを支持してきた女性のうち、これからも支持するという人は46%にすぎず、49%の人がもう支持しないと答えたという。それほど大きな変化が世論に起きたのです。

 そのうえ内閣改造後に選挙区に帰った自民党の国会議員たちは、地元の人たちから自民党で偉くなるには悪いことをしなければならないのですか≠ニいった痛烈な批判を浴びたわけです。各マスコミの世論調査結果と自らの体験とが結びつき、自民党内にも佐藤孝行さんを守ろうという人はいなくなってしまいました。

 実は私は3年半前からフジテレビ系列の「めざましテレビ」という朝の番組のなかの「ニュースのつぼ」というコーナーで時事評論を行っているのですが、その際、その日その日の評論にあたって「つぼの言葉」を書かなければいけない。いろいろ試行錯誤のうえ、あるときから古人の箴言を使うようになったのですが、このときに私がよく引用するのが中国の格言、とくに『論語』にある孔子の言葉です。私は今年65歳、『論語』は子供のころ徹底的に叩き込まれましたから、折に触れて孔子が残した言葉が頭に浮かんでくるのです。

 『論語』のなかに「過ぎたるは猶及ばざるが如し」という言葉があります。これは不足はよくないが行き過ぎも同じようによくない、人類社会においては中庸がいいんだという中庸の思想を説いた孔子の言葉です。佐藤孝行さんは今回の騒ぎにあたって「猶」を抜かして「過ぎたるは及ばざるが如し」と記者会見で語った。佐藤さんの真意はおそらく「過ぎたことは忘れてほしい」というところにあったのでしょうが、この誤用によって中庸思想を説いた孔子の言葉は傷ついてしまいました。

 中庸思想を説いたのは孔子だけではありません。ギリシア哲学の大御所アリストテレスは人間の倫理と徳を説いた『ニコマコス倫理学』のなかで「徳は過不足によって失われ中庸によって保たれる」という有名な言葉を残しています。アリストテレスはたとえば人間の資質のなかでもっとも重要なものとして忍耐をあげ、そしてこれが少なすぎると短気になり多すぎると無気力になるとして中庸を説いていますし、また、それ以前のギリシアの詩人ホラティウスは「黄金の中庸」、つまり中庸というものは黄金ほどに価値が高いものだと言っています。

 少し話が逸れましたが、「ニュースのつぼ」で孔子の言葉を使っているうちに私より先輩の70代以上の方々から頻繁に手紙をいただくようになり、文通を通じてお年寄りの声に接するようになったのですが、そのなかに次のような指摘がありました。

 そのひとつは、明治憲法下、天皇は神聖にして侵すべからざる存在であり、大臣はその天皇を補弼するものとして位置づけられていました。ですから、最高裁において有罪判決を受けたような人物が大臣になるなどということは絶対にあり得なかった。このお年寄りの言葉にヒントを得て調べたところ、たしかに戦前になんらかの罪で有罪判決を受けた人は戦後においても大臣になろうとしなかった。大臣になり得るのはそうした傷のない人であるという前提条件は主権在民の戦後の新しい憲法のもとでも貫かれてきたのです。そのよき伝統がここで崩されたと、事情を知っているお年寄りたちは怒ったのです。

 もうひとつは経済的な問題です。公定歩合0・5%の超低金利時代が3年目に入り、年金生活者や金利生活者は金融所得がほとんどゼロという状態のもとで、蓄えた元金を取り崩さなければ生活できない。そういう状況が2年から3年目に入ったのに政治は一体何をやっているのか−これが高齢者が怒ったもうひとつの理由です。私のところにも次のようなお年寄りの声がありました。生活は苦しくなっています。日本の財政が困っていることも行政改革が必要なこともわかります。財政支出を削減するためにはいろいろな補助金をカットしなければならない事情もわかりますが、私たちの我慢ももう限界にきています≠ニ。そういう経済的な事情が橋本首相に対する支持率が落ちた大きな原因になっているというわけです。

 そういう生の声を永田町の政治家たちに伝えますとみんな頷きます。経済的な不満が次第に高じてきており、経済政策の見直しをしなければ来年の参議院選挙で支持されない、参院選で負けたら政治の主導権はとれない、と考えているのです。来年の参議院選挙まであと10か月もないわけですから、早急に経済政策を見直さなければならないという意見が澎湃として出てきているのが今日の状況なのです。

 それがこの臨時国会にどのような形で反映するか。

 実は脱税容疑で起訴された泉井純一という人物が弁護士同席のうえで記者会見を行いまして、自分は2億7500万円の金を山崎拓自民党政調会長に渡し、そのほかにも小渕外務大臣、森総務会長にも500万円を渡したと証言し、政界に一撃を与えました。この人はいま発売中の『文藝春秋』11月号にも一文を載せまして、いろいろ内情を暴露しています。泉井という人物が自分を国会に証人喚問せよということを求めていることははっきりしています。そこで政治スキャンダルを告白しますと言っているのです。野党にとっては証人喚問が実現できなかったら、野党としての存在価値はどこにあるのかということになります。そうでなくてもいま野党の存在価値が問われているわけですから大ハッスルしまして、国会を止めてまで証人喚問を求めた。そしてようやく与党とも話がつきまして、明日の月曜日から衆議院の予算委員会が再開されることになりました。

 質問に立つトップバッターは新進党党首の小沢一郎さんで、一昨日までに伝えられるところによると、小沢さんは質問の焦点を日米防衛協力のガイドライン問題に絞るようです。今回の臨時国会においてガイドライン問題がひとつのテーマであることは事実です。民主党からは鳩山由紀夫幹事長が立ちます。ご存じのようにこの12月に京都で地球温暖化防止に関する世界会議が開かれます。ヨーロッパがCO2を2010年までに1990年段階から15%減らしたいと主張しているのに対して、議長国の日本は5%基準を提案している。ドイツのコール首相もイギリスのブレア首相も日本は消極的ではないかと不満を述べているわけですが、私が昨夜民主党関係者に聞いたところでは鳩山氏の質問はこの問題に重点を置くようです。与党の社民党は政治倫理問題に集中する。

 率直に言って私は野党の人たちは勉強不足、認識不足だなあと思います。ピント外れだなあと思います。それらの問題が重要でないとは言いませんが、経済の問題こそがもっとも緊急性の高い問題です。国会で経済の問題をきちんと議論しなかったために、景気が下降局面に入っているにもかかわらず緩やかな景気回復が続いているという官庁の評価を政治家がみな信用するということになった。これが経済政策の大きな失敗の原因になっているわけですから、今度の臨時国会では経済問題を真剣に議論しなければダメだと思います。

 ◇6大改革

 橋本首相がその推進を国民に約束した6大改革とは、行政改革、財政改革、金融改革、経済構造改革、社会保障改革、教育改革の6つです。このうち金融改革は5月16日に外為法(外国為替及び外国貿易管理法)の改正が成立し、来年4月からの施行が確定したことによってすでに走り出しています。来年4月から外国為替取引に関する規制は取り払われ、海外の金融機関は日本国内で自由に活動できるようになりますから、まさに日本版ビッグバンが現実のものになります。そして、このままでいけば兜町は青い目で支配されるのではないかというような声さえ生まれています。

 財政改革については、2003年に単年度の政府および地方自治体の借金をGDP(国内総生産)の3%以下にする、そのために財政支出を徐々に減らしていく−たとえば来年度の平成10年度予算においては公共事業費を7%削減し、平成11年度においては15%削減するというように財政支出を減らすことによって財政構造の均衡をつくり出す。すでに米国は2002年に単年度の借金をゼロにする方向ですし、またEUは1999年1月1日の通貨統合に加入できるのは単年度の借金がGDPの3%以下の国であると規定し、EU諸国はその方向に向かって動いています。日本の場合は欧米各国に比べると少し遅れていますが、2003年には単年度の借金をGDPの3%以下にする−そういう中期的な方向づけをしようというのがこの臨時国会に上程される財政構造改革法案の骨子です。この法案を今臨時国会で成立させ、そのもとで平成10年度の予算編成を緊縮型で取り組むというのが橋本財政改革の当面のポイントです。

 ですから、その政策路線のもとでは財政支出をともなう補正予算は組めない。橋本さんは補正予算は組みません≠ニ言い続けました。この間、補正予算を組んだほうがいいと公式の場で発言したのは亀井前建設大臣ただ一人、とにかく補正予算の話はタブーでした。ところがいま自民党内には補正予算をつくって景気のテコ入れをすべきだという声が高まっています。

 ですが、もし橋本内閣がこの臨時国会において財政構造改革法案とともに補正予算を提出したらどういうことになるか。野党が真剣に勉強していて、一方で財政改革のためには支出を減らさなければならないという法案を出し、他方ではそれに反する補正予算案を提出する−水と油の法案を同時に出すとは何事かという追及を真正面からした場合、橋本首相は返答に窮すると思います。橋本首相が推し進めようとしている財政改革の実現のためには緩やかな景気回復が続いていなければならない。少なくとも緩やかな景気回復の流れが否定されないことが必要だったのですが、しかしすでに政府の景気判断を含めてそれは否定されています。いま橋本財政改革路線はその足元が崩れ始めているのです。

 景気対策のための補正予算を求める声は次第次第に高まってきています。景気対策に本格的に乗り出さないかぎり選挙区の人たちは納得しないわけで、もしなんらの手も打たず、今臨時国会で財政構造改革法案を通し、その基本方針どおりの緊縮予算を次の通常国会で成立させたら、来年夏の参院選の勝利はおぼつかない−これは多くの自民党議員の考えるところとなりました。

 財政改革と景気対策−この矛盾をどう解消するか、これは大変な難問です。私が親しくしている官庁の人と意見交換をしたところ、とにかくこの臨時国会で財政構造改革法案をあげてしまい、その際に弾力運用の一文をつけ加えて来年の通常国会の冒頭に補正予算を出して景気対策に入っていくというようなことをしなければ辻褄が合わないという意見も出ています。しかし、補正予算を来年まで延ばすことができるかどうか、私はそのような状況ではないと思います。今日の経済状況ははるかに悪く、たとえば11月下旬にはある都市銀行がお手上げするのではないかという噂が永田町、霞が関に流れています。景気対策を来年の1月2月に延ばすことができるかどうか、そんなことはできそうもない。繰り返しますが、景気の急激な落ち込みによって橋本財政改革路線は危機に立っているのです。

 行政改革については、ご存じのとおり、現在の22省庁を1府12省庁に改編するというのが橋本行革の基本路線です。私個人はこういった組織の組み替えがどのような意味があるのか、疑問をもっています。組織の改編よりもその中身をまず点検してリストラをはかることが先決ではないかと思うのですが、橋本首相はその方向に向かって邁進し、8月下旬に政府の行政改革会議において集中審議を行いました。

 ここでいくつかの画期的と思われる行革方針が提案されました。そのひとつは郵政3事業に関するものです。つまり、@郵便事業については国営を維持する、A簡易保険は2001年に民営化する、B郵便貯金については民営化の方向に向けて条件を整備する、という方針がここで決定されました。ところが「佐藤孝行事件」で橋本さんがつまづき支持率が急落してからから自民党は巻き返しに入りまして、加藤幹事長も、また一部民営化方針を決めたときの総務庁長官で内閣改造にともない自民党行革推進本部長になった武藤嘉文さんも3事業とも国営を維持すると言って橋本行革の基本路線を否定しております。

 財政と金融の分離、すなわち金融を大蔵省から切り離すことは信用秩序維持のためにしないとの橋本さん主導で決めた8月末の決定も雲行きが怪しくなりまして、橋本さん自身、大蔵省に残すのは破綻金融機関の処理という小さな部分だけだということで事実上の修正を行っています。また、国税庁の大蔵省からの分離も、いま議論が続いていますが、大勢としてはほぼ不可能になりつつあります。

 さらに、建設省の河川局を切り離して農水省につけ国土保全省にするとの案も事実上不可能になりました。公共事業を管轄する省がひとつだと巨大官庁になってしまうから国土開発省と国土保全省の二つにしよう−これが橋本さんの基本的な考え方だったのですが、これももはやほとんど不可能になりました。自民党からは国土整備省として一本化する案が出されています。また、郵政省の通信部門を切り離して通産省につけ、産業省にするという案もいまや怪しくなってきました。

 要するに、橋本政権が続くかぎりは1府12省庁という大枠は維持するけれども、その中身は取り換えてしまう。ある新聞はこれを換骨奪胎と表現していましたが、橋本行革で残るのは皮だけ、橋本さんが行革会議で決めたものはほとんど否定されるという状況が進んでおります。おそらく11月27日にまとめられる行政改革の最終案は、表紙はともかく中身は橋本さんの意向とまったく違うものになる。これを否定する人はほとんどいなくなりました。つまり、橋本さんが政権の座にあるかぎりは橋本さんの顔が最小限立つ程度のことはするけれど、内容的には橋本さんの意向を平然として無視するという空気になってまいりました。落ち目になると厳しいものです。

 8月末に政府の行政改革会議の雰囲気は、力関係が違いますから無理からぬ点もあるのですが、橋本さんが発言するとみんな「ごもっとも」と頷き、橋本さん主導で物事が決まっていった。この行政改革会議で決まったことについて、自民党のいろいろな族議員も各省庁の幹部たちも、私の非公式な取材に対して不満だ≠ニはっきり言っていました。不満ではあるが、いまは声をあげない。不満の声をあげても通るものじゃないし、行革潰しだとして逆につぶされるだけだ≠ニ言っていました。9月中旬まではそれほど橋本さんの勢いはよかった。その勢いに押されて、野党のなかには橋本行革案に対して反対だという人はおりましたが、与党のなかにも官庁のなかにも反対論を展開した人はおりませんでした。

 ところが、橋本さんが佐藤孝行さんの総務庁長官起用について「不明でありました」と謝罪し、記者会見で三度も頭を下げてから空気は一変しました。最高責任者が謝るというのは惨めなことです。あの瞬間から橋本さんの権威は失墜しました。

 私の次男はロンドンで所帯をもって大学院で勉強しているのですが、その便りによると、ダイアナ妃の件についてエリザベス女王が謝って以来、王室の権威は急速に落ちたという論評がイギリスのクオリティーペーパーに載り始めたそうです。イギリスの新聞はスキャンダル報道に血道を上げるタブロイド紙とオピニオンリーダーたらんとする高級紙の二重性になっています。部数としてはタブロイド紙のほうが圧倒的に多く、例のパパラッチに活躍の場を与えていたのもタブロイド紙です。このタブロイド紙がチャールズ王子とダイアナ妃の離婚にいたる騒動を大々的に取り上げ、イギリス王室の権威は傷ついたのですが、それほどの派手さはないけれども、女王が謝って以来イギリス王室は本当に危機に立ったという論評を高級紙がするようになったというのです。

 この例にみられるように、最高責任者が謝罪することの影響は非常に大きい。権力者はたとえ間違ったと自覚しても謝ってはダメだ=|一般的な道徳論には反しますが、権力者たちの書いたもののなかにはこのような言葉がよく出てきます。謝った瞬間から権威は落ちる。権威を維持するためには謝らないほうがいい。謝るぐらいなら何も言わずに辞めたほうがいい≠ニいうわけです。最高の地位に立つものが言葉だけで詫びるというのは非常に危険で、うまくいった試しはありません。

 橋本さんが謝罪の記者会見を行った以降、みんな遠慮しなくなりました。代表質問において野党の人たちは繰り返し「佐藤任命問題」を取り上げ、橋本首相はそのたびに本会議の壇上で頭を下げて詫びました。ある新聞は「橋本首相、代表質問において13回も謝罪」という見出しを掲げ、頭を下げて詫びる橋本さんの写真を掲載しました。この権威の急落は橋本さんを補佐する人たちにとっては辛いことででしょう。ここ本荘市からはまじめで信望のある村岡官房長官が出ておられますが、さぞかしご苦労されていることと思います。

 9月下旬に自民党内で開かれた会議の席上、行政改革をめぐって当選回数の少ない若手議員から政府の行政改革会議とはいったい何なのか。あの行革会議のメンバーはどこで信任されたのか。国民に選ばれたわれわれ国会議員の会議と対等に置くのか、上に置くのか、下に置くのか、はっきりさせろ≠ニいう発言が飛び出ました。これは政府の行政改革会議の権威を頭から認めていない発言です。

 実を言えば、政府の行政改革会議は国会で承認されたものではありません。したがって会議を構成するメンバーも国会で認められた委員ではない。ある意味では半私的なものです。この半私的な行政改革会議をみんなが認めていたのは橋本さんの勢いがよかったからです。その橋本さんの勢いが弱くなったとたん、行政改革会議の正統性に疑問を投げかける声が自民党内から噴出してきた。自民党の人たちは行政改革会議の正統性をほとんど認めておりませんでした。しかしそれを全否定すれば行革を掲げる橋本内閣がもたなくなりますから、橋本内閣を支えるために政治的に暗黙してきたのです。そのこれまで隠されてきたホンネが橋本さんの勢いが止まったとたんに噴き出してきた。

 国民の支持を失い権威が失墜すると、そのくらい大きな変化が起きてくるのです。冒頭申しあげた11月危機説はそのようなところから出ているのですが、11月を乗り切ったとしても、12月危機説、1月危機説、4月危機説、あるいは7月の参院選後の政権交代説−とにかくいろいろな噂が政界のなかでまことしやかに伝えられているのがいま現在の政治情勢であり、橋本さん自身も橋本さんを支える人たちも本当に大変だと思います。

 そして私が一内閣の命運を左右する以上のことが日本で起こっているのではないかと申しあげたのは、次のようなことからです。

 景気対策を行うにあたってこれまで政府が使ってきた手法は金融政策と財政政策でした。しかしいま金融政策は発動できません。公定歩合は0.5%、これ以上金利を引き下げることはできません。ある日銀関係者は私に公定歩合0.5%では日銀職員の給料も出ない≠ニ言っていました。これはあくまで陰の声で表面切ってはそんなことは言いませんが、ともかく0.5%という公定歩合は史上最低です。アメリカにおいて1930年代末から1940年代初めにかけて1%だったことがあります。最近では1978年のオイルショックの直後にスイスにおいて1年だけ1%だったことがあります。これがいままでの最低ですから、日本の0.5%という公定歩合はかつてない最低記録であり、これ以上下げることはできない。つまり景気回復のために金融政策は使えないのです。

 ではもうひつとの手段、財政政策はどうか。さきほど申しあげたように財政再建のためには歳出を削減するしかないというのが橋本内閣の立場ですから、これは非常にむずかしい。しかし、景気が悪化してもう背に腹は変えられないということから、赤字国債を発行してでも乗り切らざるを得ないという意見が浮上しているのですが、その場合、金利を高くしなければ国債は売れませんから、赤字国債の発行は金利を高めに誘導することになります。金利の高め誘導は何を意味するかと言えば、いま金利が低いために日本の資金はアメリカに向かっていて、これがアメリカの好景気、株価高を支えているのですが、日本の金利が上がり始めたら日本の資金は国内に還流してきます。アメリカの「超」がつくほどの景気のよさをひとつの原点にしていまの世界経済のバランスが保たれているわけですが、もし日本からの資金が引き揚げられるということになれば、アメリカの景気にかなりの影響を及ぼすのではないかという心配をアメリカはし始めています。

 頼山陽は『日本外史』のなかで、法皇を攻めようとしている父清盛を諌めたときの平重盛の心境を「忠ならんとすれば孝ならず、孝ならんとすれば忠ならず」と表現しましたが、世界のリーダーたるアメリカの経済を思えば低金利を維持していかなければならず、日本の景気を財政支出によってテコ入れしようとすれば金利を高めに誘導しなければならない。この問題をめぐって政府部内には二つの見解があります。ひとつはここは低金利を維持して頑張り抜くべきだというもの、もうひとつは金利が上がっても赤字国債を出して景気刺激策をとったほうがいいというものです。その二つの意見が拮抗し始めているのが現状でして、まさに「危うきこと累卵の如し」という感じがしますが、経済政策の転換が迫られていることはたしかです。その場合は断固たる決意をもってその道を選ばなければダメだと思います。

 ◇ポスト橋本(小渕政権説)

 このように現在の日本の政治は経済政策の面で重大な決断つまり転換を迫られているのですが、「佐藤孝行問題」を契機にして支持率が低下し、不支持率が支持率を上回った橋本内閣によってそのような大胆な政策の転換ができるかどうか、できない場合は橋本さんにかわって誰が次の総理大臣になるのか、すでに政界では話題になっています。永田町で噂されていることは−噂の世界の話をこのような場でするのは多少無責任のそしりを免れませんが、それを覚悟のうえで申しあげます。噂というものは意外に重要なものです。もちろん噂は玉石混淆でして、真実をついた玉もあればなんら価値のない石もいっぱいあって、石を玉と信じて失敗した人はたくさんおります。噂の情報のなかから真実を発見するにはよほどの鍛練を積まなければなりません。いずれにしても、自分の将来をかけてどれが玉でどれが石かを判断せざるを得ないわけですが、その噂の世界の話をしますと、ポスト橋本政権として小渕政権の可能性が高いという説がいま永田町で広がっています。

 小渕さんを支持する人は小渕さんは橋本さんと同期の桜で当選回数も同じ、官房長官や幹事長などの要職をこなしてきたそのキャリアからいっても申し分のない人だ≠ニ言い、支持しない人は小渕さんで大丈夫ですかね。先だっての国連総会での演説も棒読み、それもつっかえ気味でしたね≠ニ言います。好き嫌いは人さまざまですから両論あるのですが、ここにきて小渕政権説が急浮上した背景には、自民党内の勢力構造の変化、つまり竹下派=小渕派が−こちらの村岡官房長官もこの派の重鎮の一人ですが−自民党の最大勢力になったということがあります。

 政局が混乱したときには、弱い派閥のリーダーがやるよりは強い派閥のリーダーがやったほうがいい、そのほうが党内はまとまりやすい−そういう判断が働きます。小渕派−実態的には竹下派−が自民党の最大派閥になったことが小渕政権説の最大の根拠なのです。この自民党内の勢力構造の変化はこれからの政局を見るうえでとても重要です。これをなぜ新聞は書かないのか、本当に不思議です。

 経緯をやや詳しく説明いたしますと、5年前の1992年10月19日に自民党の最大派閥だった竹下派が分裂します。片や竹下さん、小渕さん、橋本さん、梶山さんなど自民党に残った人たち、片やのちに自民党から離れて新生党をつくりいま新進党に行く小沢さんを中心とする人たち、第一派閥だった竹下派は真っ二つに分裂しました。このとき、衆議院レベルでは小沢さんが自民党の幹事長時代に国会議員になった若手議員が小沢さんに従ったために小沢さんの勢力が若干上回ったのですが、参議院レベルでは多くの人が竹下さんに従った。ですから総計すると竹下さんのほうが勢力的には上回っていたのですが、しかし、分裂した結果、最大勢力を誇った竹下派の二つのグループは第4派閥、第5派閥になりました。

 自民党の実態は派閥という名の同志的ないくつかの集団の結集体、言葉を換えれば保守勢力の連合組織です。そのなかにあって佐藤栄作さんの時代、田中角栄さんの時代、そしてそのあとの竹下・金丸時代にいたるまで、この派閥は自民党の中心派閥としてその威を誇ってきたのですが、分裂によって第4派閥、第5派閥になり、近親憎悪の念も手伝って激しく争うことになります。そして割合年輩者が多い竹下さんのグループは他の派閥と協同して自民党の主流派を形成しますが、反主流派になった小沢さんたちのグループは政府や党の役職につけず徹底的に干されるわけです。この欲求不満が1年後の6月に爆発し、社会党が提出した宮沢内閣不信任案に同調するエネルギーになっていくわけです。不信任案に同調すれば自民党を離党しなければなりませんから、新生党をつくって選挙に持ち込み、共産党を除いても自民党を上回る勢力をもって4年前の夏に細川連立政権をつくったのです。ある種の革命をやってのけたのです。

 自民党内に残った竹下派は第4派閥になり、自民党の主導権は最大派閥の三塚派、第2派閥の宮沢派、第3派閥の渡辺派、この3派に移ります。この非竹下派の3派連合が自民党の執行部を握り、第一段階では宮沢派の河野洋平さんが自民党総裁になり、幹事長には三塚派の森喜朗さんがなるという形を取ります。その後、橋本さんの体制になりますが、橋本さんは竹下派に所属していましたけれど、派閥活動よりも政策畑一本槍−かっこいい言葉で言えば政策を求めて進むさすらいの一匹狼でした。ですから派閥の中枢部にはいなかった人です。この橋本さんを竹下派のなかでは傍系の立場にある梶山さんと外部の中曽根さんが手を組んで擁立し、この動きに加藤紘一さんの側近も乗って橋本さんを総裁に押し上げる。ですから、依然として非竹下派3派連合の主導権のもとでやってきたわけですが、これが変わります。何があったか。

 2年前の参議院選挙における最大の注目点は比例制の選挙でした。というのは、機を見て衆議院を解散して総選挙ということになれば、その選挙は小選挙区比例代表並立制の新選挙制度のもとで行われるわけですが、この新制度下の選挙はどうなるか、初めての経験ですから読みにくい。ところが、参院選の比例区選挙は新しく導入された衆議院の選挙制度に非常に似ていますから、参院選の比例区の票の出方がそのまま次の衆議院選挙の流れを決めると選挙関係者はみな考えておりました。その意味で2年前の参議院選挙におきまして比例区の成績が注目されたのですが、ここで思わぬ結果が出ます。

 自民党は間違っても第一党になると信じていましたが、第二党になります。自民党がとった票数1110万票、当選者15人に対して、新進党は1250万票を獲得し18人の当選者を出します。政界には大衝撃が走りました。小沢さんの周辺は次の選挙で政権をとれると自信を深め、一方、屈辱の敗戦を喫した自民党は真っ青になり、そして怒れる傷ついた狼になります。自民党は新進党が獲得した1250万票を分析して、そのうちの3分の2の票は創価学会の選挙運動によってもたらされたものだとの結論を得て、創価学会という1宗教団体の政治活動に対して猛烈な批判を開始するわけです。ひとつは政教分離を定めた憲法20条に違反するのではないかということ、もうひとつは宗教法人法を改正して全国的な宗教団体は文部省の管轄下におくということです。

 この宗教法人法の改正をめぐっては大闘争が起こりました。かつて日米安保条約や日韓条約をめぐって大闘争が起きたことがありますが、それに似た種の大闘争が起こります。しかし、自社さの団結は固く、宗教法人法の改正は通ります。新進党、創価学会は敗れました。しかし、創価学会が長年営々として築いてきた宗教団体を守り維持しようとするのは当然です。企業をはじめみんながこの変動の激しい現代社会のなかにあってなんとか生き延びていこうと、いまサバイバルにかけているわけですが、創価学会はどのようにして生き延びようとしたか。

 それは昨年10月20日の総選挙に現れました。この選挙において創価学会は新進党だけを支持するという投票行動をしませんでした。自民党の主導権をとった3派連合が反創価学会の運動を起こしたわけですが、このとき自民党内には創価学会に対して中立を保ったグループがありました。竹下派(小渕派)です。創価学会はこの選挙の最終場面において、大都会地や中都会地において新進党の候補と五分の戦いをしていた竹下派の人たちの支持に回ったのです。仲間の新進党の候補を推さず、自民党内の中立的な勢力、好意的中立を守った人たちに学会票は集まったわけです。島根の竹下さん、岡山の橋本さん、京都の野中さん、茨城の梶山さん、群馬の小渕さん、その他いくらでも名前を挙げることができます。

 その結果、竹下さん、小渕さんのグループは第1派閥に復帰しました。つまり昨年10月20日の総選挙の結果、自民党の派閥の力関係に大きな変化が起きたのです。これを背にして竹下さんはどうしたか。戦国時代の3英雄を評した有名な言葉があります。織田信長は「鳴かざれば殺してしまえホトトギス」、太閤秀吉は「鳴かざれば鳴かしてみせようホトトギス」、徳川家康は「鳴かざれば鳴くまで待とうホトトギス」−竹下さんは徳川家康型の人です。待っているうちに、自民党の3派連合がこの春から九月初めにかけて保保派と自社さ派に分かれて「戦争」を始め、その結果、事実上共倒れという形になりました。たしかに形式的には自社さ派の加藤紘一さんのグループが勝って執行部を握り、負けた保保派は閣僚からも党執行部からも取り除かれました。ですが、実権を握ったのは誰か。竹下さん、小渕さんを中心とするグループが5年振りに自民党の中心勢力に復帰したのです。竹下さん個人について言えば、リクルート事件で傷ついて中枢部から去って以来8年数カ月ぶりで復帰しました。竹下さんは中曽根さんや宮沢さんの元総理大臣との長老争いにも勝ちましたから、ある意味では大御所的な存在になったと言ってもよいと思います。

 こうして自民党内の力関係に大きな変化が起こりました。ですから、現在の閣僚のうちの7名、3分の1が小渕派から出ているわけです。この大きな変化を背景にして、竹下派=小渕派の中心メンバーとは言えなかった橋本さんがやっていけなくなった場合には、中心メンバーの小渕さんを総理大臣にしてこの状況を乗り越えていこうという感じの話が出始めた。これが小渕政権説の背景です。果たして小渕さんにそれだけの力とエネルギーがあるかどうかという問題はありますが、この難局を乗り切るにあたっていまや経済政策の大転換は不可欠になっています。

 ◇2つのポイント

 経済を安定させよくすることができるかどうか−これが現代の政治家の最大の任務になりました。孔子は弟子から政治に必要なものは何かと問われて、大事なことは3つある、第一は「信」(国民との信頼関係)、第二は「食」(食糧つまり経済)、第三は「兵」(軍事)と答えました。そして、その3つが同時にできなくなった場合に何を最初に捨てるべきなのかという問に対して「兵」と答え、また1つだけを残すとすればそれは何かという問に対しては「信」と答えた。この『論語』にある孔子の言葉はいろいろな人が政治論をするときによく引用されますが、率直に言って、ポスト冷戦の時代にあっては国民経済を守り国民の生活を安定させることがすなわち「信」なのです。クリントン政権に見られるように、経済が安定していればいかなるスキャンダル報道がなされても支持率は減りません。

 国民経済を守り国民の生活を安定させることが政府の現在の最大の責任になっているとすれば、景気判断の誤りによってこの間なんらの対策をとらずにきたために事態は悪化し、しかも決定的なのはアジア経済の破綻によってバブル経済崩壊後営々として積み上げてきたものがふいになった−この状況をなんとか解決する必要があるのですが、私はそのカギは二つだと思います。ひとつは金融、つまりいまの貸し渋り状況を変えて優秀な経営者と技術陣をもつ企業に対する融資ができるようになるかどうか、もうひとつは役人がいまの腰の引けた姿勢、憶病状態を克服して実態経済をよく把握し、国民生活の安定のために働くかどうかです。

 この二つがポイントになると思いますが、それを主導できるのは政治です。政治がこれを理解し、その方向に引っ張っていけるかどうかにこれからの日本の命運がかかっていると思います。われわれはこれから3か月、4か月の大きな政治の変動、経済の変動に注視していく必要があります。

 お約束の時間になりました。皆様のご発展をお祈りして、私の話を終わらせていただきます。


森田実氏略歴

 1932年(昭和7年)静岡県伊東市生まれ。東京大学工学部卒業。

 日本評論社『経済セミナー』編集長、出版部長などを経て、1973年から評論家として著作・論文を著す一方、テレビ、ラジオ、講演などで評論活動。主たるテーマは「政治」。現在、「めざましテレビ」(フジテレビ系/月〜金am5:55ー8:00)などでニュース解説を行っている。

 ●主な著作(最近著より)

 『[政治評論集/96年版<下>]日本の政治はどう動くか』(森田総合研究所 1996年12月)

 『[政治評論集/96年版<上>]これでいいのか日本の政治』 (森田総合研究所 1996年7月)

 『森田実のニュースのつぼ』(東急エージェンシー 1996年7月)

 『[評論・講演録V]政治のリーダーシップを問う』(森田総合研究所 1995年12月)

 『[講演録U]歴史の岐路で立ちすくむ日本●政治の責任を論ず』 (森田総合研究所 1995年6月)

 『[講演録T]世紀末日本の政治を問う●村山政権論』(森田総合研究所 1995年3月)

 『政界大変●自社連立の暗部を衝く』(徳間書店 1994年9月)

 『日本をダメにする二つの守旧派●官僚とマスコミ大批判』 (東洋経済新報社 1994年5月)

 『連立政権●私の細川内閣論』(日本評論社 1993年)

 『政権交代』(時事通信社 1993年)

 『政界大乱●自民解体・新党創生』(東洋経済新報社 1993年)

 『自民党世紀末の大乱』(東洋経済新報社 1992年)

 『政変』(徳間書店 1991年)

 『社会党の素顔』(時事通信社 1990年)

 『経済大国の闕政』(日本評論社 1989年)

   などがある。

目次へ戻る
HPへ戻る